2011年4月25日 (月)

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2011年2月 1日 (火)

新春薔薇づくし

初めて読むとは思えないくらい妙になつかしい小説にたまに出会うが、これもそのひとつ。「まさか一度読んでド忘れしたんじゃないだろうな私」と疑ってみるが(こんなふうに自分を疑うのはサイコホラーみたいに怖い)、日本語訳が出たのが2004年だから、たかだか6年で内容をまるごと忘却することはありえない。たぶんこの本の影響を受けた作家がたくさんいて、そっちを読んだから知ってるような気がする?と考えるも、本国イギリスでの出版も95年で、作家たちの大先生というほど古い作品でもない。なんだかよくわからないが親しめる本。

51n13vwew8l_sl500_aa300_1「グノーシスの薔薇」ディヴィッド・マドセン著 角川書店

扉のコピー「聖下は女役を好まれる。まるで初夜の花嫁のように・・・」を見て思わずプッと笑ってしまった。ルネサンス時代のイタリアで、ひょんなことからおネエのローマ教皇レオ十世の側近になった男、ペッペの物語。

ブラックな笑い満載で、会話がいちいちおもしろい。世界史や美術史でおなじみの有名人たちも登場して裏話に花が咲く。レオナルド・タ・ヴィンチやラファエロの生態は抱腹絶倒だ。学生時代に「マルティン・ルター/宗教改革」と丸暗記した記憶があるが、ルター事件も詳しく盛り込まれていて「あーそういうことだったのね」と再確認できる。これは実在の人物ではないのかもしれないが、個人的にセラピカが好き。残念ながらジュリアーノ・メディチはあまり出てこない(藤本ひとみのメディチ小説では期待通り過ぎるくらいのスター扱いだったのに。そもそも教皇レオ十世といわれてもピンとこないので、「ジュリアーノの兄」と最初に書いてあればわかりやすかったのに)

 題の「グノーシス」とは語り手ペッペが信仰している宗教で、当時キリスト教会から見て異端とされ、弾圧されたらしい。なにが違うかというと、キリスト教ではこの世界は神が創ったことになっているのに対し、グノーシスは「神が創造したのは霊的世界だけ。物質から成るこっちの世界は、悪魔が神の世界を真似て創ったジャンク版だ。だからこの世は基本的に地獄であり、邪悪と苦悩に満ち溢れている。この物質界と肉体を軽蔑し、常に精神世界の高みを目指せ」と主張する。ようは「大事なのは物体より精神」という教義であるため、異形の小人であるペッペも教団の人々にあたたかく迎えられ、そこに居場所を見出す。

私には自然への敬意を欠いた考えに思える(もっと謙虚に「他の動植物は知らないけど人間は邪悪な存在です」と言うならまだわかるのだが)。教団の師アンドレアは、高い知性とカリスマ性を持ちながら、時に忠実な弟子のペッペさえ当惑させる奇行人間でもある。ただ信者たちが虐殺されたとき、ペッペが生き残った者から事件の詳細を聞くシーンで、教義に照らして「聞きたくなかったが、聞く義務がある。無知は悪魔の道具だから……」等々と語る、その哲学だけは非常に納得できる。

この宗教はその後どうなったのか、現代のスピリチュアリズムの原型のような感じもする。多分形を変えてどこかに受け継がれているだろう。

必見はもちろん、教団のラウラが改宗を拒んだ末に燃される場面。火刑の描写が凄絶で、美しくて、残酷、絢爛たる幻想と恐ろしくも悲しい現実の間を行き来し、サディスティックな興奮に沸き返る野次馬の熱気の中でエロチックな様相さえ帯びて散ってゆく。この後、師匠アンドレアが異端審問官への報復を決意。最後は円形闘技場の廃墟で宗旨のぶつかる男2人が全裸で死闘を繰り広げ、これがまたエロくて壮絶。そう、炎に包まれる恋人も、最後の肉弾戦も、伝統的アクション映画の要素。その精神性をペッペが鋭い洞察で暴露してみせる。彼から見ればきっと、これを楽しく読んでいる私も醜い野次馬。でも、いいの。なぜなら自分を知らないことは罪だし、聖女のごときわたくしにも過激で淫らでグロテスク好きな悪魔の血が流れていることを常に再確認しなくちゃいけないから・・・(という教義なんです、グノーシス)。

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2010年12月26日 (日)

ほんとのところ、サイコパスって?

031_2 「自分は何でも前向きに考える」「思い立ったらすぐ行動する」と自慢する人がいたら、「犯罪者もそういうこと言うらしいですよ」と言ってみることにしている。

ちなみにこれは本当のことだ(私は犯罪告白モノや犯罪ドキュメンタリー本が好きである)。

「どうして強盗なんかやったのだ、いくら金に困ったと言っても、まだ他に方法があったのではないか」と聞かれて、「自分は思いついたらすぐ行動に移さないと気が済まない性格なので」と答える犯人たち。

歴史に名を残す大泥棒いわく「興味のあるものしか目に入らない」。テロリストいわく「私はアイディアが浮かんだらすぐに具体的な計画を立て、どんな障害があっても実行するまで絶対にあきらめない」。

「非難なんか乗り越えて、必ず幸せになってみせる。私はこれからも自信を持って明るく前向きに生きるつもりだ」と、これが拘留中の殺人犯の手記だったりする。

 つまり私は、ポジティヴ・シンキングとやらそれ自体が賞賛すべきこととは思わない。善良と明るさはイコールで結べない。矜持、楽観主義、優れた集中力や実行力は、ビジネスだけでなく罪や悪徳、おそらく戦争においても加速力だ。廃れた道徳律の上にこれらの特長だけ祭り上げれば、悪もまた栄えるだろう。

では、真に両者を分かつものとは?

 最近こんなの見つけた。

511g1vj713l_bo2204203200_pisitbstic 「良心をもたない人たち ~25人に1人という恐怖~」マーサ・スタウト著 木村博江訳 草思社

個人的には原題の「The Sociopath Next Door」が好き。

小説や映画でとってもおなじみ、邪悪で冷血なサイコパス(もしくはソシオパス、反社会性人格障害)。私が子供の頃、少年マンガの敵キャラにはこの手合いが多く、25人に1人どころか4人に1人くらいの人口比になっていた気がする。よく「サイコキラー」「サイコ野郎」などというが、実際サイコパスの定義とは何なのか、その実態は……という疑問にわかりやすく答えてくれる。

 この本の良さは、下手に専門化されていなくて、視野が広いことだ。著者は現場経験の長いセラピストらしいが、精神医学だけでなく、生物学、社会学、遺伝子、有名なミルグラムの実験や、脳神経の比較(言葉に対する情緒反応を見るという検査はなんだか、P・K・ディックのSFの、アンドロイド発見器みたいだ)にも言及している。だから「ちょっと教授、あんたデズモンド・モリス読んでないわけ!?」「こういう研究もあるはずなんだけど、完璧無視しちゃってない?」というストレスがたまらなくてよい。

 犯罪者の多くは貧困や家庭の影響によるもので、最初から犯罪者に生まれてくるわけではない。しかし中には、どうにもルーツを探ることができない、善良な中流家庭から唐突に出現したとしか思えない凶悪人物がいることも、やはり事実のようだ。

現実には、サイコパスが連続殺人犯や独裁者になるとは限らない。そうなるのは、良心がないというサイコパスの特徴に、暴力や流血を好む傾向が加わった時だけだそうだ。この本には、不正行為をしつつも成功している実業家、売人兼業セクハラ高校長、育児放棄のジゴロ男など、より身近な例が出ている。

ところで著者の考えでは、良心とはすなわち愛であり、揺るぎなく人の感情に根付いたもの、またその基盤はかなり生得的なものでもあるらしいのだ。これはやや意外だった。

私はやさしさとは自然発生的な感情というより、教養であり、礼儀作法、最終的にはその人の美学や思想だと考えている。それを宗教から借りてくるのか、一族や師の規範にならうか、独学するかといった違いがあるだけで、ようは学問のようなものとみなしている

(そういうわけだから、「僕は単純なので」とか「オレは何も考えてない」とか、あたかも純真さの証のように言う人が不可解だ。というのは、人間は何も考えなければ自動的に自分の利益になることしかしないと思っているからで、単純な人といったらすなわち狡猾で自己中心的な人、ということに私の中ではなっているからだ。「無学でも愛情深い人はいるではないか」と言われても、その人物は少なくとも関係性という面では無知ではなかったというだけの話で、親切=鍛えられたセンス、愛=知であるという私の考えと矛盾はしない)

しかしこの著者、言い換えれば大部分の人間には普遍的な良心なるものがある、と信じているわけだ。長年の経験と研究からその結論に達したのか、それとも最初からそれが職業上の信念だったのかは不明だが、そこが持ち味と思う。

ちなみに、一連の資本主義向け発想(ポジティヴ・シンキング含む)はもともとアメリカから日本に輸入されたものだが、この本の中では「自分本位の文化」と呼ばれ、サイコパスを生み出す土壌であると指摘されている。

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