2010年2月 8日 (月)

マーク・ライデン

 多忙中につき ご無沙汰しております・ 

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こんなの見つけた。

5129v8y4bwl_sl500_aa240_1_2  マーク・ライデンの画集「不思議サーカス」。この画家、去年の今ごろに個展があったらしいが、ぜんぜん知らなかった。どこかで見たことあるようなないような、キモかわいくてインテリアがこまかい、すてきな絵の数々。なぜかレオナルド・ディカプリオの序文つき(知り合い同士なのか? 本書にはディカプリオの肖像画も一枚収録されている)。私はディカプリオの人間性は知らないが、この序文を読んで見直した。なかなかもののわかる男である。

 序文はもう一人、日本人の野田凪という人も書いていて、「ライデンの描く生物であふれた惑星があったら一生住みたい」とまで絶賛するが、私はキリストとリンカーンと下の毛のない男女しかいない世界は断じてごめんこうむる。でも一週間滞在のチケットをもらったらたぶん、お気に入りの服とピンクのトランクを持って駆けつける。

 私としてはむしろ、「子供の頃、手術中に麻酔のせいで見た夢に似ている……」というディカプリオの言葉の方に共感する。この世界は麻酔でもなければ行けないくらい遠い。それでいて、つるんでみたくなるような女の子たちもちゃんと存在する。たとえば「40」(これは40と書かれた墓の前にアダムス・ファミリー風の女の子が座っている絵)や、「創造の女神」(これはなんとなくフリーダ・カーロに見えた)も魅力的だし、「女の子」「ジェシカの望み」「澄んだ心、灰色の花」の子たちがイケてる。少女を描きたがる画家は多い、でも女から見て「つるんでみたい」と思わせる女の子の絵を描ける画家は少ない。ちなみにヌードものでは、戯画化された自然や動物たちとのからみを描いた「最後の兎」「ソフィアの恵み」が個人的に好き。

図書館で借りただけなので返さなくてはいけないが、けっこう見ごたえあった。だいたいどこへ引っ越しても、近所の図書館が楽しいのは最初だけである。数年もすると興味ある本は借り尽くし、あとにはどうでもいい本や最初から読む気のない本だけが残される。その後は予約したものを取りに行くだけとなる。しかしたまたまこういうものを発見すると「あそこもまだまだ捨てたもんじゃない」と、また背表紙漁に行く気になるのだった。ごちそうさまでした。

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2010年1月 7日 (木)

謎の足音

091231_133301 ←猫の幽霊 (でもよく見ると足がある)

※これはお正月に、本当にあった出来事である。私は完全に目を覚ましていたし、甘酒一滴飲んでいなかったと誓える。といっても実際わけがわからないので、結論も何もない。

 私はさる公共施設のトイレの、洗面台の前に立っていた。トイレには、そのとき自分一人だった。私はハンドドライヤーを愛用しない(あれで完全に手が乾くことは少なく、一説によると機械自体が細菌の温床である)ので、いつもハンカチがいる。そのときも下を向いて、カバンに入れたはずのハンカチを探していた。

 後ろから足音がして、トイレに誰かが入ってきた。それは不思議な足音だった。体重のとても軽い、たとえば子供の靴音のようだが、歩幅や、落ち着いた足取りはたしかに大人のものだ。

続いて、はっきりした気配とともに、誰かが私の後ろを通った。私はあいかわらずカバンをいじっていて顔を上げなかったが、通りすぎる瞬間、後ろ髪がフワッとした。相手が肩で風を切ったのが私の後頭部に感じられたわけだから、このことからも、少なくとも私と同じくらいか、あるいはそれ以上の背丈の者ということになる。

 さて、女子トイレだから、入ってきた→洗面台のわきを通過した、となれば次は当然、個室のどれかに入るはずである。ところがいつまでたっても、個室のドアが閉まる音がしない。そこではじめて顔を上げて見回したが、誰もいない。奥の方までのぞいてみたが、どの個室もカラッポで、ドアが開いている。

 確かに今、誰かが入ってくる足音がして、後ろを通っていく気配があった。ところがそこにいるのはやはり私一人なのだ。これは一体どうしたことか。

a)目に見えない天使が通った(そして個室に入ったが、翼がかさばるのでドアを閉められなかった)

b)カメレオン仕様のエイリアンが通った(そいつは洗面台を使いたかったので、壁と同化してじっとしたまま、私が出て行くのを待っていた)

c)バレリーナが軽やかな爪先立ちのまま歩いてきて、ちょっと鏡を見て、私が顔を上げる前に立ち去った

 空白を嫌うという人の脳の習性により、わからないことには仮説を(たとえどんなにばかばかしいものであっても)、立てずにはいられない。しかしこんな現代建築の中にいて、すぐにホラーモードになるのはむしろ難しいことがおわかりいただけるだろうか。

ここでひとつ、霊を自らの敵対者、迫害者とみなす者たちから、目に見えない存在たちを擁護したい。不可解なことが起きた時、即座に「悪霊」「自分が害を受ける」という発想を浮かべるには、日頃からの刷込みによる暗示と、一種のマゾ的資質が必要ではないのか。

 ところで、相手の姿が見えなかったこと自体は、アレッ?という程度のことに過ぎない。不思議なのはやはり、足音の軽やかさと、気配から察せられた相手の大きさとのギャップだ。何かが私の感覚をあざむいたのだ。

 普通、無意識のうちに五感で集めた情報――近付いてくる相手の大きさ、年頃、性別――などは、たいてい裏切られない。たとえば、杖をついている二人の人間がいたとする。しかし部活で足を怪我した高校生が杖をついている時の、せっかちでもどかしげな足音は、80歳の人が杖をついて歩いている時の足音とはどれだけ違うことか。誰でも無意識の中でこのことを知っている。だからこそ矛盾する知覚情報(つまりギャップ)は違和感として認識され、深い印象を残すのだろう。

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2009年12月24日 (木)

「アバター」で映画酔い

Sub1 「アバター」観てきました。

 主人公ジェイクは、わたしの好きなJ・ティプトリーJrの「接続された女」の要領で、培養された異星人の肉体に乗り移り、異星の大自然を駆けまわる。

 初めて3D映画というものを観た。チケットと一緒に黒い眼鏡を渡され、これで観ると、なるほど映像が立体的に見えておもしろい。しかも気合を入れて最前列で観た。しばらくすると、ちょうど乗り物酔いに似た状態になってしまった。それなら眼鏡を外して観ればいいのに、初めての3D映画だから嬉しくなって、なにがなんでも最後まで眼鏡で見続けた。終わる頃にはもう、へなへなとなっている。一列後ろの席にいた中学生たちも「頭いてぇよー」「俺も途中からめっちゃ頭痛かった」などとぼやきながら去って行った。300円余分に払って映画酔いして、ふと「こんなにまでして3Dで観て何か意味があるんだろうか」という疑問が頭をよぎった・・・

 眼鏡は記念に持って帰れるのかと思ったが、外に返却箱があって、どうも再利用されるらしいので返した。

 地球人が異星人に襲われる映画は多いが、これはまったく逆の、地球人(というかアメリカ人)たちが異星へ押しかけていって大迷惑をかける映画。鉱石採掘しようとして現地人とモメたあげく、軍隊が爆撃機を持ちこんで現地の重要文化財を破壊し、住人を虐殺してパニックに陥れる。ある意味、地球が襲われる話よりもリアル。

 独自の文化を持つ誇り高いパンドラ星人。動植物は不思議なのだが、この文化や思想はとんでもなく変わっているわけでもなく、あくまでも地球のどこかにいそうな、歴史上の何かの部族と同程度の異質さだ。そして、言うことがいちいち正しい。地球人の方が病的である。異星人はもっと激しく不可解であってほしかったので拍子抜け。監督の思想は立派なんだけれども。

 最後の大団円は、しょせん夢物語という感じもある。しかし、こうでもしないと異星人があまりに気の毒だから、もうこれしかないといった感じだ。

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