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2006年1月

2006年1月22日 (日)

「獲物の分け前」古くて新しいゾラの世界

 図書館をあてどもなくぶらついていて発見した、エミール・ゾラの「獲物の分け前」。

  時は19世紀のパリ。主要キャラの1人、サカールというオッサンは、とにかくお金大好きで、不動産投機で大儲けをたくらむ。人を騙すのもなんのその。原書はすごい長編で、別の巻では「自分の経営する銀行で、行きすぎた株価吊り上げ工作で破綻」したりもするらしい。最近話題のどなたかにちょっと似ている。

 作者の視線はあくまでもニュートラル。コイツはいいヤツでこっちは悪いヤツ、というのはない。どのキャラクターも平等に、ひたすら冷静に分析的に、そしてちょっと意地悪に描写する。

 サカールの心理を書いた、

「今まで他人を羨んでばかりいた者が溜飲を下げ、まんまと罰を食らわずに済んだペテン師がまた何かアテにする時の、あの喜びであった」

 というところなんかは、笑ってしまう。

 ゾラは名前を知ってるくらいで興味はなかったけど……「獲物の分け前」!この妙にテンションの高い、ワイルドな題名にノックアウトされて借りたら、こんな話だった。てっきり、ある盗賊の生涯、みたいな話かと思ったんだけどな。でもこれはこれでスリリングだし、ある意味では怪談より怖い――なんたってキャラクターが人の皮をかぶった魔物だから。パリ貴族、やはり一枚上手か。

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2006年1月17日 (火)

「女形喜三郎・2」(コレは何だ!シリーズ1)

 私はふだん時代劇は観ないし、興味もない。今まで観た中で一番時代劇に近いものといったら、「キル・ビル」くらいのものだ。
 それが、一月のある夜、あまりに眠れないので、本にも飽きて、仕方ないからテレビをつけたら、たまたま「女形喜三郎・2」という深夜映画が始まった。それで思わず観てしまったわけだが、これがなんともいえず不思議な世界なのだ。
 時代劇をよく知っている人は笑ってしまうだろうから、飽くまでも「ぜんぜんわからないヤツから見た時代劇の話」と思って欲しい。

 ストーリーを簡単に言うと、
 江戸時代の、貧乏長屋に、キサさんと呼ばれる男が住んでいる。
 彼は髪結師、つまり美容師のような人だが、店を持たず、道具(ラーメンの出前のような箱に入っている)を持って客の屋敷に出張する。それで、客との会話や、盗み聞きによっていろいろな秘密情報を集める。
 しかしそれは表の顔で、実はゲリラのような人で、夜中に悪者をこっそり斬り殺している。
 身分差が激しいので、身分の高い犯罪者を罰するには、もう暗殺するしかないらしい。

 この暗殺に出かけるとき、必ず歌舞伎役者のような格好で、真っ白に化粧して行く。
 その姿で立ち回りをやるわけだが、女装だから、どう見てもかえって動きにくい。
 ちょうど魔法少女アニメの少女が、変身後にかえって動きにくい衣装になってしまうのに似ていて、おかしい。
 アメリカンコミックなんかには、露出度の高いコスチュームはあっても、「変身後にかえって動きにくくなる」というのはまずない。
 多少の合理性は犠牲にしても見た目を華美に、というのは江戸活劇からの伝統なのだろうか?

 女装で登場する時のキメゼリフがあって、
「女を泣かせ、いたぶり、果ては殺してお咎めなしとは、さても女の一大事……」と三輪明宏のような声で言い、それから地声に戻って「女形喜三郎、成敗させていただきます」と言う。
 殺しに来たのに、丁寧に「いただきます」というので笑ってしまう。
 クライマックスでの登場に至っては、いきなり畳が二枚ばかりパーンと跳ね上がり、
そこから金の紙吹雪が吹き出したかと思うと、演歌歌手のように床下からヌーッと出てくる。
 彼は常に単独行動なので、紙吹雪も自分でまくのだろう。

 どうして女装するのかというと、「正体を隠す」という意味と、「虐げられた女性の代弁者として悪党を成敗する」という意味があるようだ。彼自身が服装倒錯者なのか、あるいはどんなセクシャリティの持ち主なのかは、いまひとつはっきりしない。
 ただ、冒頭のシーンで、近所の男が「女嫌いのキサさんが……」と言っている。
 本当に女が嫌いなら、困っている女性のために奔走したりはしないはずだから、
これは「女性と恋愛はしない」、もしかしたらゲイ、という意味なのだろうか?

 さらに気になるシーンがある。いつも彼に犯人を横取りされて悔しがっている熱血刑事が、寺の前で「おまえが女形喜三郎なんだろう」と問い詰めて掴みかかる。
 すると突然彼が、その刑事の顔を、あやしい流し目でジイッと見る。
 その目は、普段美容師でいる時の目ではなく、明らかに女装の時の表情だ。
 刑事に媚を売った、というのではない。そういうことではないのだが、ものすごく色っぽくて迫力がある。
 この女形の目というのは、むかし一度だけ見た歌舞伎に通じる何かがある気がするが、
他では見たことがないし、ちょっとどう表現していいのかわからない。
 私は、セクシーさというものは、ある程度バカにならなきゃ醸し出せない、と思っていた。
(セクシーな男女=バカだと言っているのではない。一時的に阿呆になって、利己的な原始人になって、ごちゃごちゃ考えず照れを捨てて突っ走らなきゃ迫るも誘うもできないだろ、という意味で)。
 でもこの目を見ると、それが「違うんだ」ということがハッキリわかる。
 艶っぽいのだが、非常にインテリジェンスなのだ。上品だ。怨みも慈愛も、忍耐も衝動も、いっしょくたに秘めていそうだ。
 とにかくそのなんともいえない目つきでジイッと見る。刑事の方でも負けじと睨み返す。
視線が火花を散らすというより、しっとり絡むような、それでいて圧倒するような、無言の駆け引きだ。
 だんだん、ヤバい雰囲気になってきた。
 と、刑事の方が、何を思ったのか、胸倉を掴んだ手を離してしまう。
すると彼は、パッと元の、低姿勢で地味な美容師の顔に戻って、すたすた去っていくのである。

 いま刑事と書いたが、本当はもっと別の呼び方をされていたのだが、その江戸用語を忘れてしまった。
 もう一つ、公儀(漢字はこれでいいんだろうか?)というのがいて、これは町人を取り締まる町の警察に対して、旗本だとかなんだとか、そういう上流階級の捜査を専門にやる警官らしい。
 この、町警察と公儀が現場で鉢合わせして、互いに煙たがるところなんかは、アメリカ映画によくある、刑事とFBIのいがみ合いみたいでおもしろい。
 
 話を戻して、私は女装や変身といったテーマはすごく好きだ。
 ただ戸惑うのは、先ほど言ったような、喜三郎の内面がいまひとつ謎、という点だ。
 もっとも私が観たのは「パート2」だから、「1」にはもっとくわしいことが(女装する理由なんかも)描かれていたかもしれない。

 それから、たぶん女装よりこちらの方が本筋の、「窮地に置かれた女性を助ける」というテーマ。
 舞台が江戸時代なだけに、女性を取り巻く状況が、あまりにもとてつもない。身分の落差は凄まじいし、人権もなにもない。
 本当に江戸時代が、女にとって危険で理不尽でしかない時代だったのかというと、私は歴史に詳しくないのでよくわからないが、とにかくこの映画の中ではそういうことになっている。
 そういう特殊な世界観の中で「不幸な女性を救うんだ」と声高に言われると、なんだか戸惑う。
 それ自体は結構なのだが、その「不幸」が、あまりにも現在の状況とかけ離れた、ただただ「なんじゃそりゃあ!」と驚くしかない「不幸」なのだ。
 助けられた女性も、たまたま大変な不幸に見舞われたわけではなく、その他大勢の一人にしか過ぎないらしいことが匂わされている。
 そもそも背景となる世界がイカれているから、そんな中でも現代的な、いわゆる「フツーの感覚」を持っている男性が際立っていい人に見えたりする。
 でも、どうせカッコいいヒーローならば、その状況というか政府そのものをひっくり返して、打倒するなりなんなりしてくれよ、と思う。
 ラストを迎えても、イカれた世界そのものには何の亀裂も揺らぎもないから、本当に痛快とは感じられない。
 それにこの喜三郎という人は、女装した男なわけだが、どうして本物の女性ではいけないのだろうか?
 そんなわけで、やっぱりこれは「不思議な話」「怪談的な話」というよりほかない。

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