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2006年4月22日 (土)

ナスカ展で考えた。呪わない理由

 上野の国立科学博物館でやってるナスカ展に行ってまいりました。

 地上絵だけではなく、彩色土器やミイラも見られます。

 初めて知った、級首(トロフィー・ヘッド)という習慣。

 ナスカでは戦争が盛んだった。そして、倒した敵の首を狩る。昔の日本でも敵の首を落とすという習慣はあったわけだが、「確かにこの人を倒しました」という証明のために持ち帰るのだから、地位のある人の首でなければ意味がない。ナスカでは、別に相手の地位などは関係なく「人間の頭部には特別な力が宿る」という考えだったらしい。持ち帰った頭を、作物がよく育つようにという祈りをこめて畑に埋める(リサイクルかい!)。あるいは加工してミイラにして、豊穣の儀式のときに首から下げて使ったという。

 この「敵の首を埋めることによって豊穣を祈る」という考え方が非常に不思議だ。私だったら「敵の首なんか埋めたら逆に呪われるんじゃないか」と思う。それに敵の首を儀式に使うといったら、黒魔術のようなブラックなイメージを受ける。しかし、ツボなんかに首をぶらさげた人の絵が描いてあるが、別にダークではなくあっけらかんとした感じだ。ナスカには「人を呪う」という概念はなかったのだろうか。

 その理由について考えたのは、

1 自我の未発達?

 呪うためには、自分⇔敵 もしくは、自分の部族⇔他部族

とにかく自分対他者という、明確な線引きが必要だ。ナスカ人にははっきりした線引きがなく、「自分も敵もしょせん自然の一部サ」と、総括的に考えていた。よって呪いという概念がなかった。

2 残留思念という考えがない?

 そもそも「人の強い感情は死後も残る」というお約束がなければ「呪い」という発想も生まれない

3 「もし自分だったらイヤだろう」という立場転換の発想がなかった?

なぜ呪われると思うのか。それは「自分だったら、首をぶった切られて敵の部族の畑に埋められたらイヤだろう」と思うからだ。従って、「もし自分だったら」と、敗者をわが身に置き換える発想がなければ「呪われる」という考えも生まれない。

4 いや、もし自分がやられたとしても、怒らない人々だった?

展示されてるツボの中に、猫系の怪物を描いたものがあった。おおむね面白みのないナスカ芸術の中で唯一ホラーチックだったのがこれで、デカい猫みたいな怪物が人の首を食いちぎっている。解説には斬首を象徴的に表現したもの、とあった。私は、この怪物は敵というよりむしろ、「飢餓」もしくは「厳しい自然環境」を象徴しているのではないかと思った(砂漠地帯なので水が貴重)。しょちゅう戦争していたのは、食料もしくはより良い土地の争奪戦だったはずで、だとすると「真の敵は人間ではなく、飢え(あるいは環境)だ」という考え方が成り立つ。

「誰かの死によって自分が潤う」というのはヤな発想だが、資源に余裕がないとそういうことになる。だから飢えた敵が襲ってくるのも仕方ない→首を切られて他人の畑に埋められても、それも厳しい自然のせいだし、お互い様。だから呪いません。ということだったのか。

(※以上、あくまで素人の推測ですが)やっぱり不思議だし、凄絶だ。敵の首を自分の畑に埋めたら作物がよく育つと思ってる人々……。実は「呪い」なんてもんは、豊かな土地で育った人間の、甘い発想なんだろうか。

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コメント

カニバリズムの話なんだけど、
敵を倒してその肉を食べるという行為には、
その敵の力を自分たちの中に取り込むという意味が
あったらしいね。
参考→http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Cafe/2191/aa-kani.html

その考えで行くと、敵の首を豊穣の儀式に使ったり、
畑に埋めたりするのは理解できるけど、
呪いの発想がないことの説明にはならないね……。

私が思うに、「弱い戦士は強い戦士に殺されて当たり前」
という意識が強かったのではないかと。
単なる推測だけど。

日本の合戦における「首取り」については、
『刀と首取り』という本が面白いよ。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4582850367/503-7557575-6662361
曰く、一番首は価値が高いとか、
モラルのない輩は病人や女子供の首さえ狙ったとか、
(特に、敵とはいえ子供の首を取ることはかなり激しく非難されたらしい)
さらには「味方討ち」といい、ドサクサにまぎれて味方の首を襲う輩までいたとか、
身分の低い敵の首を、さも身分が高いように偽装する話とか。
位の高い敵の首を持ち帰ると恩賞が多く貰えたらしい。

投稿: み | 2006年4月30日 (日) 01時13分

いつもカキコありがとう。
【み】は本当に研究熱心だし、ネットで調べ物するのが上手なのね。補足してもらってるみたいで恐縮です。
「刀と首取り」ぜひ読んでみたいよ。
同じ武将の生首と称するものは常に複数あって、捕虜になってる身内を呼んで本物を識別させた。という話があって、なんでそんなに間違えるかな……と不思議だったんだけど、そうか、褒美欲しさに偽装しようとした確信犯てこともあるのね!

投稿: 小宮 | 2006年4月30日 (日) 20時42分

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