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2006年10月23日 (月)

災難にあってもかわいそうと思えない。その過程とは、

1015d ←風呂場の怪奇(頭の後ろから何かがのぞいています)

前にちょっと書いた怪奇短編「猿の手」(W・W・ジェイコブズ)とは……

 この怪談は有名なので、内容をきけばたぶん知っている人が多いと思う。そのあらすじは、

 ある夫婦が、3つの願いを叶えてくれるという猿の手のミイラを手に入れた。2人は「200ポンドが欲しい」と願った。すると翌日、息子が勤務先で機械に挟まれて死に、会社が補償金として200ポンドをくれた。

 夫婦は今度は、息子を生き返らせて欲しいと願った。するとその夜、ゾンビとなった息子が墓から蘇ってきた。怯えた夫婦は、息子をもう一度死なせて欲しいと願い、それは叶えられる。

私も、もともとこの大筋だけ知っていた。最近になって、初めて短編小説をじっくり読んだ。それでわかったのは、この話が決して「善良な夫婦が思わぬ大災難にあうかわいそうな話」ではなかったことだ。

まずこの夫婦は、ひとり息子と3人で、田舎の一軒家に住んでいる。家族の仲は円満だが、やや退屈気味で、夫は客が来ないことをぼやいている。

そんなところへ、夫の古い友人が遊びに来た。彼はインド帰りの軍人で、色々とおもしろい話をしてくれる。そこで「猿の手」の話が出て、彼は現物を取り出して見せる。

夫は好奇心にかられて猿の手を欲しがる。しかし友人は最初は断り、その危険性について再三警告もしている。一度は暖炉の火に投げ込んだりもするが、夫がわざわざそこから引っ張り出して、強引に譲ってもらうのだ。

さて友人が帰った後、試しに願い事をしてみようということになる。

ところがなんとこの夫、「何を願ったらいいのかわからんなあ、実際。欲しいものはもう、みんな持ってる気がする」と、小憎らしいセリフを吐く。私はここでカチンときて、もうこの夫婦が気の毒とは思えなくなった。

どうしてかというと、たとえば、

「自分の家庭には何の不満もない」と言いつつ、不倫だ夜遊びだとハッスルしているオッサンがいたら、「何なのこの人」と思うだろう。真剣に恋愛しようとしている人も大勢いる中へ、ひやかし半分のようにして踏み込んでくるわけだから、どこかうさんくさい。

それと同じで、「願をかける」というのも本来は一途で、真摯であるべき行為なのだ。ところが、この一家はあくまでも遊び半分である。元々悩みもないので、あえていうなら家の借金を返すための200ポンドがあればいいということになる(ちなみにこの願い事を提案したのは、後に死ぬことになる息子である)。

多分この夫婦は、大成功したこともない代わりに、大失敗したこともない。あまり野心もなく、必死で何かを願ったこともない。そこそこの幸せに満足し、平穏無事に生きてきた。

だから年はとっていても、苦労知らずでウブなところがある。ウブだから非常に危うい。息子は若いから仕方ないが、夫婦も息子と同じくらいう浮ついた無防備な雰囲気で、事実上この家には年長者がいない感じである。

この夫婦は、必死で何かを求める、ということの悲しさや怖さを知らない。知っていれば、こんな軽い態度はとらない。猿の手の魔力を信じないのはいいとして(多分私も信じない)、少なくとも、そういうまじないの道具を造らずにいられなかった人の想いは、もうちょっと思いやってくれてもいいのに。

どうも私は「こいつらズルイ」と思ってしまう。

私はキリスト教徒ではないが、もしかしてキリスト教の人には、「本来ならキリストの神に祈るべきところを、東洋から持ち込まれたあやしげなまじない道具なんかに手を出したため、天罰が下った話」と見えるのかもしれない。

ただし、猿の手が悪魔や黒魔術に関係あるとは書いていない。それがなぜ願い事をかなえるのかという由来について、インド帰りの友人はこう語っている。

「老いた苦行僧が魔法をかけたのです。大変に徳の高い人でした。人間の生涯は運命に支配されているのだ、その運命に逆らおうとする者はひどい目に遭うのだということをその方は示そうとしたのです」

息子が死んでしばらくすると、妻が、猿の手に息子の帰還を願おうと提案する。

夜中にノックの音がして、妻は「あたしのぼうや」と叫んで迎えに出ようとする。

この妻は平凡な主婦だったかもしれないが、一歩間違えると狂ってしまいそうな激しい母性愛を秘めている。しかし夫にはそういう強烈な感情があるわけでもなく、息子の幽霊が来てしまうのではないかと怯えて、ただ震えている。どこまでも中途半端なおじさんである。

私の予想と違って、具体的にゾンビの描写はなかった。恐怖にかられた夫の想像と、ドアを叩く音がした、とあるだけだ。そして最後の、ドアを開けた後の描写はひたすら悲しい。なかなか文学的な怪談なのです。

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