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2006年11月

2006年11月26日 (日)

ベルギー王立美術館展

Card  絶対混んでるよ……しかも忙しいんだよ……と思いつつ、今行かねばきっともう行けない!という予感がしたので、大急ぎで観て来ました。国立西洋美術館で、~12/10までの「ベルギー王立美術館展」。

←買った絵葉書のひとつ、ルイ・ガレ「芸術と自由」。袖の裂け目に継ぎの当たったボロいマントと、へたれた帽子がとってもステキ。19世紀のバイオリニスト像(バイオリンを持ってるんだけど、吟遊詩人みたい)。

 新しく知ったヤーコプ・ヨルダーンスのファンになってしまった。ポスターにあった「飲む王様」。私は最初本物の王族かと思っていて、「昔の王室ってさばけてたんだな」と感心していたが、解説によるとクリスマスパーティーのキング役ということだった。私は印象派みたいなのがどうも苦手で、このへんの制作年不詳の絵画群がすごく好きだ。

 そしてヤーコプ・ファン・スワーネンブルフ(なぜかファーストネームがかぶる人が多くてややこしい)の、「地獄のアイネイアス」も最高で、ダーク・ファンタジー炸裂の世界。

 幻想的なテーマは、近代からは亜流のもの、子供のもの、真面目じゃないもの、という地位に落ちてしまった。でも、昔はオカルトもファンタジーも正統な大人のジャンルで、一流のアーティストが大真面目に題材にしていたんだな……と、よくわかる。

 でも、人間が一つの集合体のようにワラワラ描かれているような絵を見ると、あんまり「個人」というものが重要視されていなかった時代なのでは、と思うことがある。中世の人は、とにかくどんどん産まれてどんどん死ぬ。一人ひとりが大切にされることはなく、みんなそれぞれ勝手に何かをやっていて、不遇のヤツもいるし若死にするヤツもいる。でも「だから何?」という時代。子供も大人も、今の人間から見たらまるで怪物のようにタフで、多分今とは違う生き物だったような時代。どことなくもやもやとして、見えないものや、暗黒の部分の多かった世界。

 そういう中で、昔の人は地獄とか、妖精とか、魔法とかを、本気で信じていたのだ。そして、犬や鳥たちもたくさん描かれていて、自然や動物たちが今よりもっと身近に、人と森と動物がいっしょくたに生活していたこともわかる。

 と遠くに思いを馳せつつ戻ってきたら、ウチの鳥が処女生殖してた……。

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2006年11月19日 (日)

紫のきみ

Parple  私がよく利用するC駅で以前よく見かけた、紫の髪をした女性を、最近見かけなくなった。

あの人はたぶん、バイトが終わる時間が、私と同じだったのだ。それとも日暮れからのお仕事だったのだろうか? 私がどこにも寄り道しないでC駅に戻ってくる時、あの人もC駅に向かって歩いてきて、電車に乗る。

私は彼女を見るのが楽しみだった。ああ、あの腰まである長いまっすぐな美しい髪、ファンタスティックな、グラスに注がれたワインそっくりの色に染められた髪! どうしたらあんな絶妙なワイン色になるのかわからない。一度脱色したにしてはつやつやサラサラだし、色も濃くて深みがある。

やや小粒の華奢な女性で、どこかヨーロッパ風の愛らしい顔立ちは、妖精のよう、という表現がぴったりだ。唯一の欠点といえば、眉毛がぜんぜん無いことくらいである。私は、よけいなお世話だが、「眉毛も紫で描いておけばいいのに」と思ってしまう。しかしどうも彼女は、髪の毛にはこだわりがあるくせに、眉毛なんかはどうでもいいらしくて、とにかく描いていない。そもそもメイク自体していないのかもしれないが、それにしては、やけに白くて均一な肌をしている。不透明で、不思議に人工的な白さだ。

服装がまたおしゃれで、いつも細身のジーンズに、フォークロアやエスニック調の、ひらひらしたトップスを合わせていた。それも、髪の毛とのマッチングを考えてか、たいがい紫がかった柄のものを着ている。あの上から裏がふわふわのムートンのコートなんかを羽織ったらさぞすてきだろう――と勝手に想像していたので、寒くなった今の季節に彼女の姿が消えて、悲しい。

この女性、服装や体型やかわいい横顔から、てっきり年下かと思っていた。ところがある日、真正面から間近に顔を見てしまい、それほど若くないのを知った。30代の後半くらいのようだった。

そうなると、なおさらミステリアスである。どうしてあんな髪をしているのだろう? どうやってあの少女のような体型を保ち、ファッションも個性的にキメているのだろう?

女友達はよく「ずっと綺麗でいたいわ」と言うが、それは多分、口にするほど簡単なことではない。多くの人にとって、髪型や服にこだわるのは、若い時期の一過性の症状で終わる。ファッションへの情熱やエネルギーを、何年も、何十年も保ち続けるのは難しい。

年をとっても凝った若作りのおしゃれをしている人には、若い頃に何らかの事情で地味な生活を余儀なくされていたような、悲しい過去があったりする。昔できなかったから今やってやる、というわけだ。そんな人の服からは、話をきく前から「あたしの青春を返してくれ!」という無言の叫びが聞えてきて、見ているこっちの脳髄がキリキリ痛くなってくる。

でも、あの紫の髪の人からは、そんな怨讐の叫びは聞えない。その点で、かなり成功した例だ。派手で個性的ながら下品ではなく、髪も服装も自然に身についている。でも、それでもやはり、彼女は遅咲きの人なのかもしれない、と私の頭の一部がささやく。だとしたら、どんな遅咲き事情があったのだろう、と思いをはせる。

私の勝手な予想は、「病身による遅咲き」。しかしそうなると、なおさら姿が見えないことが気にかかる。

いや、もしかすると彼女は人間のふりをした宇宙人で、ただかぐや姫のように、自分の星に帰っただけかもしれない。

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2006年11月12日 (日)

「文学フリマ」行って来ました

061112_2120001 「文学フリマ」 http://bungaku.webin.jp/   は、文章主体の作品展示即売会。小説など、文芸作品の個人誌・同人誌を売る会です。

 秋葉原の会場へと、マスクで出かけた私。べつにあやしい本を漁るためにマスクで行ったわけじゃなくて、ホントに風邪気味だったんだ……。

↑私の今回の掘り出し物「喰うことと愛すること(野田吉一著)」。とあるお寿司屋さんの水槽の中で繰り広げられる、魚たちの愛憎……。なぜか一冊5円でした(文章が大正ロマンス風だから、価格も大正時代の設定なのかもしれん……)

 「文学フリマ」。わたくしも来年、出品する予定です。どうぞよろしくm(_ _)m

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「みんな行ってしまう」マイケル・マーシャル・スミス

448872101x01_aa240_sclzzzzzzz_1 大好きなSF作家マイケル・マーシャル・スミスの短編集。長編でも生かされているエッセンスを色々見つけることができて、個人的にはとても貴重な一冊なのだが、

「訳者のあとがき」最低!!

嶋田洋一とかいう訳者が個々の作品について、偉そうに見当ハズレの批評を並べている。たとえば

「前半はややだれるが、後半はテンポよく話が進行する。ただ前半と後半のつながりがよくない感じ」

「前半がやや冗長なのはいつもの悪い癖」

「もう一ひねりあれば傑作になったと思うのだが、ちょっと残念」

こんなこと、訳した本人が、わざわざその本のあとがきで言う必要あるんでしょうか?

これが本書とはまったく別のところ、たとえばSF雑誌の評論か何かに掲載されていたのなら、べつにいいと思う。しかしこれは、当の文庫の「訳者のあとがき」に書いてあるのだ。

 訳者は翻訳だけきちんとやってくれればいいのであって、批評まで書いてくれなくてもいい。作品解説は、それが書かれた年と、どんな雑誌に発表されたか、くらいで充分だと思う。おもしろいかどうかは、この本を買った読者が判断することだ。

 第一この嶋田洋一、自分の感性で勝手に誉めたりけなしたりしているが、作品を読んだ私はまったく別の感想を持っている。たとえば「見知らぬ旧知」という作品について「前半がやや冗長なのはいつもの悪い癖」などと言うが、私にはこの前半部分こそが重要で、とても深く共感できる部分なのだ。また表題作の「みんな行ってしまう」について「ごく短い作品だが、どこか懐かしさを覚えるような、とてもいい味を出している」と誉めているが、もうまったく私と感性が正反対らしいとしか言いようがない。

 とにかく、訳者は批評や感想なんか書かなくてよい。

この嶋田洋一という人は、どういう人なのか知らないが、いったい何様のつもりなのか。マイケル・マーシャル・スミスの他の作品も訳しているから、ちょっとしたスペシャリスト気分なのだろうか。

 でも、本を買っている私から見れば、訳者はただの訳者。

訳者とは何か?

海外作家と、そしてそれを愛する私たち読者の下僕です。黒子です。透明人間です。立場をわきまえてください。

べつに男だからって差別するわけじゃないけど、女性の翻訳者ならこんな出過ぎた真似をして読者の気分をぶち壊しにしたりはしないのに。少なくとも私は、あとがきで批判めいたことを書いている女性の訳者は見たことがない。私もずいぶんいろいろな海外小説を読んできたが、自分が訳した本の中でこんな軽薄で幼稚な批判を書いて本の値打ちを下げている人は初めて見た。

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2006年11月 5日 (日)

特典映像の方がイイ……「ワンダフル・ラブ」

Photo_18  短編が得意な小説家はいるが、短編向きの映画監督っているんだろうか?

謎の映画「変態村」のDVDゲット。

本編は退屈で、途中から飽きてしまった(しかも80年代生まれのキュートなマルク役を期待してたのに、区役所の窓口にでもいそうな男で、どう見ても年上。なんてこった!)

そんなことより、特典映像の「ワンダフル・ラブ」がブッ飛んでいて最高だった。

「ワンダフル・ラブ」は同じ監督の短編作品らしくて、内容は、

孤独な中年女が、自分の誕生日にパーティー用の男性ストリッパーを呼ぶ(ちなみに女性の出張ストリッパーはたいがいボディガード同伴で来るらしい)。

さていいものを見せていただいて、ゴキゲンで雑談しようとする女。ところがストリッパーに「喋ってるヒマはない。さっさと金を払え」と怒られ、いきなり手にしたフォークで彼の首をグサッ!

そこから「ネクロマンティック」のようになってくるが、肉屋のバイト君がなぜかこの女に惚れていて、頼みもしないのに肉を持って遊びに来たりする。

彼女は屍との幻想の愛を選ぶのか、それとも現実的に、肉をくれそうなバイト君を選ぶのか?(一人暮らしの女としては、肉も捨てがたいだろう……)。

ヤバいのはこの女なのか、それとも「やだこの人、あたしみたい」と思っている自分なのだろうか?

あまりの過激なおもしろさに、観ている間じゅう頬がゆるみっぱなし。ああ、本編を観ないで「ワンダフル・ラブ」だけ観ればよかった。

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