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2006年12月25日 (月)

帽子考。どこまで脱帽するか?

Cap

あれは数年前の今日、知り合いにクリスマスイベントに誘われ、ちょっとした出来心で、教会というあのおそるべき館に足を踏み入れてしまった(人は財政難に陥ると、とかく「無料」という点に惹かれて個人的信条をおろそかにしてしまうのだ)。

私が悪魔だから教会が苦手、というわけではない。教会というところは、実際に奇人が徘徊している不気味な場所なのである。

その日は寒かったのと、寝癖を直す時間がなかった(私は軽度のクセ毛である)ので、ニット帽をかぶっていた。

さてイベントが始まるのを待っていたら、後ろに座っていたおじさん(おじいさん?)が私の背中をつつき、それが何か重大なことでもあるかのように「帽子は取りなさい」と深刻そうな小声で注意する。

はっきり言って「教会では帽子を脱がねばならない」というのはエセ規則ではないかと思う。この教会だけのルールなのか、それともこのオヤジが勝手に考え出したルールなのかは知らないが、少なくとも万国共通のものではない。私は欧米映画の中で何度も、ニット帽をかぶったまま教会に参列している人々を見たことがある。ある小説で、礼拝に退屈した少女が周囲を見回し、「毛糸の帽子をかぶった人が何人、毛皮の帽子の人が何人」と数えて気をまぎらわすシーンも見たことがある。

礼拝だけではない。結婚式でも女性は帽子着用のままだ。葬式では、黒いヴェールのついた帽子をかぶっていたりする。もしもあれを「教会の中だから脱げ」といったら変だ。

私の家庭では「女性の帽子は男性の帽子と意味が違い、洋服やアクセサリーの一部と考えるべし。よって屋内で脱ぐ必要はない」ということになっていて、私もそう教えられて育った。

しかし中には勘違いしているのか、それとも西洋文化をよく知らないので、女性の帽子も男性の帽子と同列に扱う人がいる。小型のフェルト帽をかぶったまま彼氏とレストランに入ったら、「帽子は取れよ」といわれたこともある。そのときは気心の知れた仲なので「女性の帽子は男性の帽子とは意味が違う」と説明してわかってもらった。

しかし教会で見知らぬオヤジと言い争うのもいやだから、ここは譲ってやろうと思い、ニット帽を脱いだ。するとこのオヤジ、さも満足そうに「神の家では帽子はいらない」と呟いた。そして彼の横にいたらしいもう一人のオヤジが、感極まったように「ほんっとぉーに、その通りですねえ」と同意するのである。

浅知恵から「脱げ」と言ってしまったことはまだ許すが、こういう独善的なところが私には我慢ならない。

そもそも人に対して、何か身に付けているものを脱げとか取れとかいうのはすごいことなのであって、性的な含みが無いからいい、というもんではない。帽子も服の一部で、靴下や手袋やアクセサリーと同じ、と知っていれば「ストッキングを脱げ」と言うのと同じくらい大胆なことだとわかるはずだ。それでもなんでも言わねばならない時は、少なくとも「自分はやむをえない事情から、女性に失礼なことを要求しなければならない」ということを認識して言って欲しいと思う。

ところで、いくら「男性の帽子と女性の帽子は意味が違う」といっても、最近では女性も男性と同じ型の帽子をかぶるようになってきた。ハンティング帽とか、カウボーイハット、中折れ帽、そしてキャップなどだ。こういうのはどうしたらいいんだろう?

男性の帽子――(元々帽子は外来品なので)欧米の伝統からいえばキャップ・中折れ帽・カウボーイハット・麦藁帽子などは、屋内では脱ぐべし、ということになる。

ただ頭にピッタリしたニット帽なんかは、セーターの延長(もしくはセーターの一部)のようなもの、と私はとらえている。部屋に入ったからといっていちいちセーターを脱ぐ必要はないので、よほど暑いのでもない限り学校だろうが店内だろうがかぶったままでもいいのではないだろうか。鳥打帽や、丸型の帽子も同様で、とにかくフィット系のものは男でも脱がなくてよいのではないかな、と私は思っている。

私の場合、男性型のキャップやカウボーイハットであっても、気軽なレストランなんかでは脱がない。いったんかぶってしまうと、ヘアスタイルがただ事ではなく崩れているので、脱いだ方がかえって人様に対して見苦しいのではなかろうか?

ただし映画館や絵画展では、後ろの人の邪魔になるといけないから、何をかぶっていてもとりあえず脱ぐ。

というのは私のMYルールで、他の人には他の考えがあるかもしれない。

いつ、どんなとき脱帽してますか? そしてその理由は?

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コメント

妖魔の小部屋さん あなたってなんて素敵なかたなのかしら。

あなたのおっしゃることは、すべてもっともです。
あなたのような美意識の鋭い、そして見事な自尊の心を
堅持している女性はめったにいらっしゃいませんわ。

わたくしがもう少し若かったら、あなたに会いに行きました。
あなたとわたくしは、とてもよく似ています。
わたくしが若かったころとそっくりなあなた、
きっと姿かたちも似ているに違いありません。

あなたに辿り着くのはとても難しいのですが、
また苦労して伺い、わたくしの慰めといたします。
わたくしとぴったりなこころと出会うために・・・

投稿: ゴーティエ | 2006年12月25日 (月) 22時48分

初めて書き込ませて頂きます。よろしくお願いします。

どこまで脱帽するかなんて、私は今まで考えたこともありませんでした。私は、お洒落のために帽子を被ったことが、殆どないのです。きっと、私の今の帽子に関するセンスのなさは、そのおじさん達と同じレベルなのでしょう。もっと帽子を使って、お洒落をしなければと、今回、反省させられました。

それにしても、そのおじさん達ですが、教会にわざわざ通うくらい、精神世界を大切にしているはずの人達が、なぜ、他人の精神のあり方や信条を尊重してあげられないのでしょう?本当に不思議なことです。せめて、「私は、教会では帽子を取るべきだと思いますが、あなたはどう思われますか?」くらいの言い方をして欲しいですよね。

投稿: Crinum asiaticum | 2006年12月28日 (木) 12時31分

ゴーティエ様
こんばんは
事情は存じませんが、とても難しいにもかかわらず
何度も訪問していただいて大変ありがたいことです。
ゴーティエ様は若い頃、私にそっくりだったんですか?
それはなんとも先駆的な人生ですね!
私の方こそ会いに行って、困った時の道標としたいくらいですよ。


Crinum asiaticum 様
コメントありがとうございます。
そうです、たまには帽子も良いものですよ。
ぜひ新しい世界を発見してください。
そうね、一口に教会といっても色々な方がいらっしゃると思います。
精神世界を探求する者、イベントの時だけフラッと現れる者、
そしてもちろん、にらみをきかせる常連さんたち。
そうした点では、教会とバーは似てますね^^

投稿: 小宮 | 2006年12月29日 (金) 00時06分

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