« 「セクター7」 | トップページ | 紙コップは人類の虚無を加速させるのか »

2007年2月11日 (日)

どこかにあるかもしれないお店

Coffe 「ぼくの彼女は料理が下手で困る」とぼやく人に出会うたび、私はある衝撃的な朝食を思い出す。

 その人は小さな村の出身で、自分が東京の大学を出たことをたいへん自慢にしていた。そして言うことには、自分の村では2~3代さかのぼればみな親戚同士であり、血が近すぎるから、村人同士の結婚によって誕生した子は決して進学できない。自分が大学まで行けたのは、母が果敢にもヨソ者の男性と関係を持ち、血を薄めることによって知能を向上させたからである。そういう奇妙な独自の理論を展開する。

 現代の日本にもまだこんな場所があるのかと思う。私はどうしても、彼の母が阿部公房の「砂の女」のような人だと想像してしまう。そのヨソ者の父がどうなったのか私は知らない。とにかく彼は母子家庭で、夕食はいつも自分で作っていたという。

「だから俺は料理が上手いんだ。ちょっと人と違った、独創的な発明料理が作れるんだ。いつか会社を辞めて故郷に帰って、お袋と二人で料理屋をやって暮らすんだ」と言っていた。

 ある日、私はその人のアパートの部屋で寝ていた。朝起きたら、コーヒーの香りがした。その香りはなぜか、コーヒーポットではなく炊飯器からただよっていた。

 彼は小テーブルにご飯と味噌汁を並べた。そのご飯は、どす黒かった。彼が言うところの「コーヒーご飯」である。炊飯器に水と米を入れるとき、一緒にインスタントコーヒーの粉を入れ、ちょっとかき回して、あとは普通に炊き上げるのだそうだ。

 味噌汁を飲むと、コロンとした甘いものが口に入った。チェリーだった。箸で探ると、ミカンがあった。パイナップルも出てきた。これが彼が言うところの「フルーツ味噌汁」、味噌汁の具としてフルーツの缶詰を入れたものである。

 私はこれを、ちょっとした洒落だと思った(たとえば、他の女と遊んで朝帰りした夫に、コーヒーご飯とフルーツの味噌汁を出したらどうだろう。遊び心の中にも怒りがにじみ出て、粋だ)。

 でも彼は、一口しか食べない私を見て、しょんぼりと肩を落とした。彼は、自分ではおいしいと思っていたのだ。そして、いつもそのメニューを食べていたのだ。

 彼の母という人は、仕事から疲れて帰ってきて、息子がコーヒーご飯を作っていたら、怒りもせず「おまえは本当に独創的だね」とかなんとか言って食べたのだろうか。すごい人だ。

 いつか地方を旅していて、小さなさびれた村にたどり着いたとする。そこに、母と息子がやっている、ひっそりとしたあやしい料理屋があった。そのメニューに「コーヒーごはん定食」というのがあったら、それはきっとあの人だ。しかし、注文してはいけない。

|

« 「セクター7」 | トップページ | 紙コップは人類の虚無を加速させるのか »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/28889/5306322

この記事へのトラックバック一覧です: どこかにあるかもしれないお店:

« 「セクター7」 | トップページ | 紙コップは人類の虚無を加速させるのか »