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2007年4月

2007年4月21日 (土)

お休み中

個人的な事情で多忙のため、しばらくお休みします。

5月中旬頃には戻ってくると思います。

ご訪問ありがとうございます。またよろしくお願いしますm(_ _)m

管理人・小宮

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2007年4月16日 (月)

「エル・ベルデゥゴ」

Imgp0766 ←バルザック

バルザック(17991850年)のゴシック小説を紹介します(岩波文庫の短編集「知られざる傑作」より)

エル・ベルデゥゴ(1829年作)

主人公ヴィクトルは若いフランス士官で、監視の目的でスペインのメンダという小さな町に駐屯している。このメンダの丘にレガニェス侯爵の城館がある。

物語はヴィクトルや部下の士官たちがレガニェス侯爵の晩餐会に招かれたところから始まる。ヴィクトルは侯爵の娘のクララが気になっている。クララの方でも、なんだか意味ありげな目で見てくる。しかし「自分の太公という肩書きにスペイン中の誰にもまして執着しているあの侯爵が、パリの食料品屋の小せがれに自分の娘をくれてやろうと思うはずがない」と、諦めの入った心境である。

その時いきなり戦争が始まった。レガニェス侯爵はひそかに反乱軍を組織していたのだが、イギリスからの援軍の船が一部だけ先に到着して残りが遅れたため、予定が狂って制圧されてしまう。レガニェス侯爵一家は城で拘束され、一家揃って処刑されるのを待つばかりとなる。

そこでヴィクトルが仲介役となり、侯爵家側の嘆願をフランス軍の将軍に伝える。その嘆願というのがまず、「庭に絞首台が用意されているようだが、自分たちは斬首を希望する」という奇妙なものだ。「火あぶりはイヤだから斬首がいい」というならなんとなくわかるが、「絞首はイヤだから斬首がいい」とは、いったいどういうことなのだろう。どうも当時の通念として、絞首刑=平民向け、斬首刑=貴族向け、という常識があったようだ。

また侯爵家は「弟息子の命を助けてくれるならば全財産を差し出す」と申し出る。この家の男子は、長男ファニト30歳、次男20歳、その下が8歳である。この8歳の弟はまだ子供だから助けてくれという意味だろうか。それに対して将軍は(この将軍、なぜか「G…t…r将軍」と伏字になっていて意味深なのだが)、息子の一人がその手で残りの家族全員を処刑するならば、財産も家名も取り上げず、その者に継がせてやると申し出る。その理由は、「侯爵がどうしても家名を伝えたいならそうするがよい、しかしスペイン人は彼の裏切りと罰を永遠に記憶せねばならぬ」というのである。

家族会議の結果、長男ファニトがこの役目を引き受ける。そしてフランス軍とスペイン人たちの見守る処刑場で家族の首を切り落とす。クララが処刑される時、ヴィクトルは「自分と結婚するなら、将軍に頼んで命を助けてやる」と申し出る。ところがクララ、「さげすんだような、ほこらしげな目で相手をチラリと見た」後に、兄を促し、やはり首を落とされて死ぬ。こうして一家が次々と斬首されてゆくが、ファニトは、母親だけはどうしても殺すことができない。母は自ら岩に頭を打ちつけて死ぬ。

ファニトは約束どおり財産を継ぎ、侯爵家の当主になる。そしてスペイン国王からエル・ベルデゥゴ(死刑執行者)という称号を与えられ、敬意を表される。この小説は怪談めいたオチも何もなく、本当に簡潔に綴られている。最後はただ、ファニトがこの出来事の後、廃人のようになって城に引きこもって暮らしている、と書かれているだけだ。恐怖ポイントはそこまでして爵位や家名を存続させたがる心情のすさまじさと、その願いを逆手にとって悪魔的な取引を提案するフランス将軍の極道ぶりだろう。侯爵一家の毅然とした態度を描写しているあたりは、ちょっと日本の武家の話みたいだが、多少お国柄の違いも見える。

私はこういう話ならまったくの創作であっても好きなのだが、それとはべつにこの小説は、何か妙な真実味が感じられてしかたない。解説によると、バルザックはこの小説を、執筆当時に付き合っていた公爵夫人からきいた話をもとにして書いたという。もちろん脚色されたにしても、私はいくらかは本当のことではないかと思っている。作者は、登場人物の名は変えたと言っているが、このスペインのメンダという町は現実に存在しているらしい。

クララの意志の貫き方は、いわゆる女のしたたかさとは違った、独自の規則による徹底ぶりがあって興味深い。彼女はファニトのひざに乗って「お兄さまに殺していただけるのなら、死ぬのがどんなに楽しいことか」などと言うのだが、このあたりにはややあやしいムードさえ漂う。彼女はファニトを敬愛し、最後までヴィクトルを蔑み続ける。こんなプライドは悲しい。でも命を繋ぐために好きでもない男や敵国の男と結婚したに違いないたくさんの女性を思うとき、私は「よっしゃ、上等だぜクララ」と思わずにいられないのだ。

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2007年4月 9日 (月)

5月27日

文芸創作の展示即売会

かわさき文芸ジャンボリー

に、前回と同じく サークルLYCANTHROPE(ライカンスロープ)として参加します。

ただいま新作準備中です。

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ブラッド・ダイアモンド

Imgp0678 ←宝物のMYダイアモンド(にせものです)。

行き詰ってふらふらと「ブラッド・ダイアモンド」を観に行ったらば、脳みそが廃人同然になっていたためか、ぜんぜんおもしろくなかった……。失敗。

でも同じ監督の「ラストサムライ」は途中で死ぬほど退屈して寝てしまったが、今回は最後までちゃんと起きていた。ただあのしょうもないロマンチックな旅行者魂は健在。彼の描くロマンスや旅情や贖罪や悲哀は、あくまでも白人の、それも男のものであることがあまりにも濃厚なので、私にはまったく入る隙がない。ソロモンはかわいい男に仕上がっている(驚愕の表情がたまにボビーに似ている)が、アーチャーは小悪魔風の色気も何もないので彼に惹かれるマディの心情もわからない。

 美しい石を愛でる心に罪はないし、愛する人を喜ばせようと乏しい給料をはたく人にも罪はないのに。悪いのは人間で、ダイアモンド自体に罪はないのに。かわいそうなダイアモンド。大企業が価値を吊り上げるために買い占めて隠し持っているのをはやく解放してもらって、現地人とのフェア・トレードのもとに、みんなが安心して石を楽しめる世の中になってほしい。

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2007年4月 2日 (月)

「完璧な赤」

私の赤い色の思い出、それは……

その昔、親戚のねえさん(今はおばさまになってしまったが、当時は若くて独身だった)が、家に遊びに来た。彼女はなぜか真紅の、シンプルで身体に添う形のワンピースを着ていた。しかし和風の地味な顔立ちのため、挑発的というよりも雛人形のように見えた。洋服を着ているにもかかわらず和服に見せてしまう人間というのもちょっとすごい。

 さてこのねえさんが何気なく居間の窓辺に立って喋っていると、母親が突然「隠れなさい!」と叫んだ。理由は、川向こうのアパートに住んでいる独身男が帰宅したが、なかなか家に入らずドアの前に突っ立ってこっちを見ていたから、というのである。たしかに赤は遠くからでも見えるが、今思うとけっこう距離があるので本当に見ていたかは疑問だ。そして、私は知っていた。ワンピースの赤さに動揺し、気圧されていたのは、向かいのアパートの男なんかではなく、実は母自身だということを……。

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「完璧な赤」は、赤い染料の歴史を書いた歴史ノンフィクション、というので買ってしまった(2000円もするのは、中世の絵画などをのせたカラーページがあるから仕方ないのか)。

 私は学生時代に絵画史をかじったので、鮮やかな赤の絵具が貴重品だったことは知っていた。ただ、赤の染料が貴重だったことはよく知らなかった。(そうすると、古代や中世を舞台にしたファンタジー小説の中で、特に金持ちでもない人物が赤を着ているのはおかしい!?) 今の時代、もしも国王や大統領が真っ赤なスーツを着てTVに映っていたら、何事かと思う。しかし、赤が地位や権力の象徴で、身分ある人が威厳を示そうとして大真面目に赤を着ていた時代があったのだ。

 そして著者名がエイミー・B・グリーンフィールド(Greenfield)といって、なぜか赤の補色である緑を意味するところがオツだ。

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