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2007年6月11日 (月)

一万一千本の鞭

Imgp1555

ギヨーム・アポリネール(1880~1916、パリの詩人)が書いた、謎の官能小説「一万一千本の鞭」(須賀慣訳、角川文庫)昭和49年発行のレアな古本。訳者が、英訳本からではなくフランス語の原書から直接訳した、と自慢しているだけあって、時に抱腹絶倒してしまうほど滑稽なニュアンスが充分生きている。

クラシックな挿絵がオツです↓

Imgp1558_3ルーマニアの大富豪で美貌の青年モニイ・ヴィベスクの、奇天烈な性的冒険の旅を描く。時代背景が日露戦争のあたりなので、馬車にドレス、葉巻タバコなどの小道具で奇妙に奥ゆかしく感じてしまうが、現代のちょっとしたエロ小説よりよほど過激でぶっ飛んだような暴力、排泄、流血のスプラッタシーンが延々と続く。

鞭打ちや快楽殺人などが並ぶと、やはりすぐに思い出すのはマルキ・ド・サドだ。ただサドの小説では、悪人たちが、「どうして自分は悪いことをするのか。世の常識や善行というものがどれだけバカらしいか」という反道徳論、反宗教論などをとうとうと述べる。悪党一人一人が、自分独自の理屈を持っている。そして本の題名が「悪徳の栄え」というだけあって、つねに極悪人や猛サディストが決して罰せられることなく悠々自適に暮らし続け、信心深い善人はどこまでもバカをみる、というストーリーになっている。

しかし、この本の登場人物たちはそうした「悪道哲学」みたいなものを語らない。ただひたすらあっけらかんとして、刹那的な快楽に身をゆだねているようである。必ずしもいい思いだけをするわけでもなく、時には痛い目にもあう。主人公モニイなどは、最後は捕虜になり、一万一千人の日本兵(ロシア側にいた彼にとっては敵兵)に鞭打たれて死んでしまう。そのシーンの描写をちょっとだけ紹介すると、

二千回の鞭打ちでモニイの魂は昇天した。陽光がさんさんと照り輝いていた。小ざっぱりした朝を、満州の子供たちの歌声がいっそう楽しいものにしていた。

と、まるまる一冊がこんな調子の能天気ぶりである。そう、この小説の特色は全編にただよう「憎めない」感なのだ。これだけやられて憎めない。最低なのに憎めない。それは一つには、サドのように理屈っぽくないからかもしれないし、偏りが少ないからかもしれない。これを読んでも著者自身の趣味や持論はほとんどうかがい知れないほどに、まんべんなく多種多様な変態が登場する。そして、さながら万国博覧会のごとくさまざまな人種が出てくる(日本娘が「あたしは三味線弾きの娘です」と語り、日本の風物を誇張したギャグのような身の上話を詩情たっぷりにきかせたりする)。

ところでモニイは捕虜になっている間ある日本人士官と友達になるが、彼に「欲望に悩まされたりしないのか」と尋ねる。するとこの日本人、卑猥な木版画のたくさんのった小型の春本を見せて「わが軍の将校はすべて、兵隊もみんな、このテの本を持っている。これのおかげで女なしで済ますこともできる」などと、あたかも戦略か勝利の秘訣のように語る。中の一冊には、少女の身体に触手を巻きつけているタコの絵がある。これは昨今のマンガでいう「触手攻め」というやつではないのか。べつに戦争しているわけではないが、受験勉強や仕事ずくめで異性から遠ざってもマンガがあれば大丈夫というマニアの人々……。そこには歴史があったのだ。アポリネールは何かを見抜いていたのか。

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コメント

妖魔の小部屋さん本当にお久しぶり。

あなたはおもしろい本を見つけ出すのがなんてお上手なのでしょう。
そして、その面白さを読み取る感性がまた、すばらしいですねえ。

あなたはいつか、すごい小説をお書きになる方だとおもいますわ。
それまで、わたくし生きていられるかしら・・・
このところ、あまり身体の調子がよくないのです。
この情報があふれる時代に、どうか迷わず1日も早くお書きになって。
わたくしの最後の楽しみのために。

投稿: ゴーティエ | 2007年6月12日 (火) 11時30分

ゴーティエ様
お久しぶりです。
ご訪問とはげましのお言葉ありがとうございます。

私もすごい小説が書きたいのはやまやまなのですが、天才ではないので
山あり谷ありコツコツやるしかないのでして
ゴーティエ様もあと20年くらい生きていてくださると
たいへんありがたいのですが。

では、くれぐれもお大事になさってください。

投稿: 小宮 | 2007年6月17日 (日) 23時01分

こんにちは。有名作家の無名の奇書を読みまくっています。アポリネールの『…鞭』も読みましたが、せっかく買った角川文庫を、絶版を予想もせずに粗末にして紛失(処分)したことが惜しまれます。

最近、この書籍と『山寺の和尚さん』との関連が気になり、調べています。『…鞭』を読んだ方にはわかると思いますが、なにしろ、「いろまちのお酌さん、太鼓打ちたし太鼓無し、可愛いおなかをちょいと出して、ポンと打ちゃポンと鳴る・・・」ですから、つい連想してしまいます。
(1)『山寺の…』(1937)の3番の歌詞に元歌(色街の戯れ歌か何か)があり、それをアポリネールが、当時の日本ブームの中で、浮世絵などと共に知っていた?
(2)『山寺…』の作詞者・久保田宵二が『…鞭』を知っていた?読んだ?(まさか…)
(3)日露戦争の頃(戦地で?)「娼婦のお腹を太鼓代わりにする」おふざけが流行ったことがあって、日本に伝わって『山寺…』に、ロシア経由でパリに伝わって『…鞭』になった。
・・・のような想像をすると、ちょっと楽しいです。
何か情報が入ったら教えてください。今後ともよろしく。

投稿: Lynkeus | 2014年4月14日 (月) 22時50分

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