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2007年6月17日 (日)

ファンタジーと言葉

Imgp1573  いただきものの本。大作家アーシュラ・K・ル=グウィンのエッセイ集。創作に関して常々疑問に思っていたことの答えが示されていたり、鋭く真実をうがった見解を示したりしてくれる。彼女は「ファンタジーとは目に見えないものを見えるようにすること」と言う。つまり作者の頭の中にしか存在しない想像の世界を、他人にも見えるように形あるものとして示すことだ。たとえば、こう書いてある。

ファンタジーとSFは、そもそものコンセプトからして、読者の目の前にある現実の世界に対してもう一つの可能な現実を提供するものである。

(略)

とはいえ、人の心を騒がせるおのれ自身の力を恐れているかのように、SFやファンタジー作品の多くは、作品の中で新たな社会を創りだすことに関し、臆病で、反動的でである。ファンタジーは封建制に、SFは軍事的、帝国的階級にしがみつく。ファンタジーもSFもたいてい主人公たちが、その性格にかかわらず並外れて男らしい偉業をなしとげることによってのみ、報償を得る。

これはまったくいつも思うことで、私はファンタジー小説の主人公たちが、すてきな王子様やお姫様であることにうんざりしている。特権階級の人間がそんなに素晴らしいものなんだろうか。こういうファンタジーでは「しぼりとった税金で贅沢三昧」「ドレスにワインをこぼした召使をその場で斬首」「深夜のダンスパーティ、実は乱交パーティ」などという暗黒面は絶対に書かれない。あたかも封建的な身分制度を全面的に肯定するかのような、善良で勇敢でストイックな王子様・お姫様が出てきて、彼らにたてつく者は悪役ということになっている。

それに、私はアニメ「ガンダム」の軍事社会が嫌いだ。どのシリーズだか忘れたがある日何気なくTVをつけて、そこに展開されたガンダムワールドに震え上がったことがある。ニュータイプだか何だか知らないが、究極の理数系の才能が君臨している。どこかの宇宙人と戦争している危機状況で、その理数系の能力の高い者が徹底的に優遇され、重宝される。たまたま私が見た主人公がまた不器用で、社会性も協調性も皆無、自分から友達もつくれない、女の子を前にしても気の効いたセリフひとつ言えないという、とにかくどうしようもない若者だった。しかし彼はニュータイプで、そのために周囲の者が気を使ってチヤホヤし、黙っていても昇進し、女の子も向こうから寄ってくる。ここまでコミュニケーション能力に欠けた、無粋な、他人に対して何の気遣いも積極性も持ち合わせていない男が、戦争に貢献する能力さえあれば繁栄してしまう世界。他の女性はいったいどう思っているのか、これは悪夢としか見えないのだが。

 とこんな具合に、ここでは語りつくせないほど、たったの数行でいろいろなことを考えさせてくれる本だった。

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