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2007年8月 6日 (月)

「老妓抄」岡本かの子

Imgp1927  岡本かの子の「老妓抄」という短編は新潮文庫の「老妓抄(他八篇)」という短編集にのっていて、他の作品は私にはどうもピンとこなくてつまらない。ただ「老妓抄」だけはグサッとくる傑作だと思った。

どうしておもしろいかというと、私が以前勤めていた工場に、30代のフリーターで自称発明家の人がいたからだ。この人は「俺は新発明のアイディアをたくさん持っている。いつかこれで特許をとって大金持ちになるんだ」と言っていたが、その後どうなったんだろう。

この物語に出てくる若者は電気工だが、臨時雇いの職を転々としながら「発明家になりたい」と話している。それを耳にしたある年配の芸者がパトロンをかって出て、住居と研究室を用意し、生活費も出してやる(この隠居のような女性は「老妓」と呼ばれているが、それほど年ではないような気もする)。とにかく想像を絶する気前の良さだ。

 さてこの電気屋の若者、研究生活に入ったはいいが、生活費の心配がなくなったとたん「発明で大金持ちになりたい」と思った野心もきれいさっぱり消えてしまい、食べてゴロゴロして無気力に過ごす。そして「自分はあんがい小さな幸せで満足してしまうこぢんまりした人間なのではないか」と考え始める。しかも老妓の養女のみち子がなぜか彼を気に入って、しょっちゅう遊びに来てはちょっかいを出す。老妓は彼に「心底惚れ合っているなら反対しないが、中途半端な恋ならやめろ」と忠告し、「仕事でも恋でも、混じり気のない一途なものを身近に見てから死にたい」と語る。

 それに対して若者は「一途なものなんてしょせん幻想で、現実とは切れっぱしの集積にすぎないのではないか」と冷めている。 

 老妓の語る言葉、

「お互ひが切れつぱしだけの惚れ合ひ方で、たゞ何かの拍子で出来あふといふことでもあるなら、そんなことは世間にはいくらもあるし、つまらない。必ずしもみち子を相手取るにも當るまい。私自身も永い一生そんなことばかりで苦労して来た。それなら何度やつでも同じことなのだ」

それは、私もいつも思う。当時の堅気の女性なら見合い結婚してこんなことは考えなかったかもしれないが、彼女は芸者という職業柄、現代女性に近い恋愛経験を持っている。そんなところも「わかるわぁ」と思わせるポイントなのかもしれない。それに色事に奔放な芸者社会の空気を吸って育ったみち子の、子供っぽい好奇心や軽薄さも現代的で、わかる。私にはみち子と老妓が一人の女の中に存在する二つの面に見える。それとも、ただ単に私がこの二人の中間の年齢ということなのだろうか?

 それをいえば、若者と老妓もまた私の中に住んでいる二人の人間のような気がする。私は、現実に一途に研究して大発明する人間が存在する以上、まったくの幻想だとは思わない。ただ、非常に数が少ないだけなのだ。

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コメント

妖魔さん
ときどき古い本を見つけ出して愉快な読み方をするので、
おもしろいね。
実はいちごの図書室はおもしろい本がいっぱいなのだ。
また、借りに来てね。

投稿: 貴市呉いちご | 2007年8月31日 (金) 22時48分

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