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2007年9月 3日 (月)

なぜ巫女を骨抜きにするのか?

巫女には、私はちょっとこだわりがある。あるとき「トロイ」という映画のTV放送を観始めたが、カサンドラ(ヘクトルの妹で、予言の力があったとされる)が出てこないのに失望して途中でやめた。私にとってカサンドラ抜きのトロイ戦争はありえないので、かなりのカルチャーショックだった。

315efjajvjl_aa115_1「スコーピオン・キング」に登場するカサンドラ(トロイ戦争のカサンドラとは別人。たぶん予知能力があるという意味で名前を借りただけ)は、私の好きなキャラクター。これは私が抱いている巫女のイメージにけっこう近い。権力者に振り回されつつも、予知能力を武器にして結局は自分の身の振り方を自分で選択してゆく。真実と嘘を巧みに織り交ぜて身を守るなど、悪女ではないが天使でもないしたたかさもリアル。

「300」に登場したオラクル(神託者)は、自分の意見を持たない傀儡的な存在で、マリファナ(たぶん)の煙を吸いながらセクシーダンスを踊って支離滅裂な言葉を呟く。それを神官がテキトーに翻訳する。

レオニダス王は愛妻家ということになっていて、妃がそれなりに発言権を持っているのだが、私はこんな良妻賢母なんぞはどうでもいい。王(一人の夫)に守られているということは、同時に妃(子持ちの妻)としての立場や利害に束縛される。だからこそ、誰のものでもない(同時に神官全員のものでもあるらしい)この若い女性、オラクルの考えこそが興味深いものだったのに、わけのわからんジャンキーにされてしまって残念だ。

前にも、この手の「神託=ラリった女のイカれた繰言」的な扱いをしているアメリカの小説を見たことがあるのだが、私としては巫女はあんまりナメるもんではないと思っている。

べつに神秘主義を擁護しているからではない。ただ、自分の意志を持った女性がフリーで生きる唯一の道だったかもしれないからだ。古代ギリシャでは、たとえ王族・貴族の女性であっても「神殿に仕える」と宣言すれば望まない政略結婚から逃れられたという。有力者の妻という立場ゆえの打算もなく、軍事とも完全に距離を置き、神殿に守られているため時の権力に媚びることなく、限りなく公平無私に近い立場で助言ができたかもしれないのだ。巫女たち(大規模な神殿なら、ちょっとした尼僧院のように多数の巫女がいたはず)が、先見の明を持ち、政治的にもそれなりに発言権を認められた知的な女性の集団であった、という可能性は、そんなに考えにくいことなのだろうか。

「300」に対してはイラン人が怒っているらしいが(確かに表現が大変にまずいのだが)、一つのことに関して偏った不公平な描き方をしているということは、他の事に関しても史実を大きく歪めているはず。私は、かつて巫女が族長になりえた国の人間として、巫女をあんまりアホウに描かんで欲しい。

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