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2007年12月

2007年12月30日 (日)

電気屋はなぜONKYOをすすめる?

 今年の夏頃のこと……

貯金をバッグにしのばせ、「3万円台の白系の可愛いコンポを買う」という、かなり具体的な目的を持って「 Ks 電気」の売り場を訪れた。そこへ現れたのは色白の陶器のような肌をした接客係の美青年……

「かわいいコンポはデザインに金がかかっている分、音が良くない。同じ値段ならばこっちの方が絶対に良い」

 と、しきりにONKYOの地味なコンポをすすめてくる。店に入る前には希望はハッキリしていたはずなのに、美青年に妨害されて進むべき道がわからなくなった。けっきょく何も買わずに店を出た。

 数週間後。

あの貯金を再びバッグに入れ、今度こそ白いコンポを買うつもりで「 Ks 電気」にやってきた。すると今度は、小柄で太った、アバタだらけの、髪も眉毛も薄いおっちゃんが近寄ってきた!

「かわいいコンポはデザインに金がかかっている分、音が良くない。同じ値段ならばこっちの方が絶対に良い」

 言っていることはまったく同じなのに、美青年とは比べ物にならないほど気合の入ったセールストーク! 生き生きと輝く瞳。全身からオーラのようにあふれるベテラン販売員の自信。「ルックスじゃなく、質を見てくれ」という、あたかも彼自身がコンポと一体化したかのような魂の叫び! ダメだ、この人には逆らえない……嗚呼、引きずり込まれる……降参!

と、口車に乗せられて買ってしまった「ONKYO」のかわいくないコンポ。

003しかし家に帰ってじっくり聴いてみても、本当にかわいいコンポよりも音がいいのかどうか、まったくわからない。(たとえ私の耳が鈍いのだとしても、所有者の私が音の良さをわからないなら、そんな良さは存在しないのと同じことだ)。

疑念と怒りと後悔。

私の部屋も、私の生き様も、何ひとつ知らないあの男……

私を歩く財布としか思っていなかっただろうあの男の、もっともらしい言葉に耳を貸すという過失。

お嬢様方。見た目で選んでいいんですよ。そうしたからといって、何を恥じることがありましょうか? 美だけが、確実に目に見える事実なのだから。 

中身で判断すること=目に見えないものをとらえること。それは経験を重ねた本物の達人にしかできない芸当。うら若いうちからそんなことができると思っている者こそ、その大胆不敵な自惚れを恥じるがいい。

「おまえは気付いていないようだが、この物にはこんな良さがあるのだよ」と人は言う。しかし自分がその良さを感じ取れず、気付きもしなかったのなら、そんな長所は無意味だ。ゼロだ。捨ててしまえ。

それがムリならリフォームだ。

ペンキで塗装した↓

埃除けカバーはいったん外して、フェイクファーを手芸ボンドで接着(両面テープでもOK)。

冬になると欲しくなるフワフワ素材。あえて真夏に布屋(ユザワヤ等のワゴンセール)を漁るとお買い得です。

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2007年12月23日 (日)

ペプラーはエイリアンにさらわれてしまえ

Kc330001  今日の朝日新聞の「週間TVナビ」に、クリス・ペプラーという人がアメリカのTVドラマシリーズについて書いた文章がのっていた。たいへん良いことを言っておられます。本当に聡明な方です。

しかし最後の一言で、思わず新聞紙を引き裂いてしまった。

「出演のオファーが来たら? エイリアン役でいいからやってみたいね(笑い)。」

(↑実際にこのように書いてあった)。

「~でいいから」って何!?

エイリアンを……エイリアンをバカにするな!!!

SFを愛していて、「エイリアンでいい」ではなく「エイリアンだからこそやりたい」という人もたくさんいるはず。私だって、もしも女優をしていて、エイリアン役に選ばれたら涙を流して喜ぶ。

ドラマでも映画でも小説でも、SFは難しいと思う。宇宙人の描写も難しい。実際に誰も見たことがないものを形にするわけだから、説得力を出すにも苦労する。原作者、脚本家、特殊メイクアーティストや演出家たちが、汗水たらして創り上げているに違いない、空想上のエイリアン……

それを「エイリアンでいいから」とは何事か。

SFにたずさわるクリエイターたち、そしてエイリアン役だろうと人間の役だろうと、夢と誇りを持って真摯に取り組んでいる役者たちの、日々の努力に泥を塗るのか!!

現代の常識として「殺人鬼の役でいいからやってみたい」という人はいないはず。悪役だからこそ、ヒーロー役以上の演技力が要求されるかもしれないことを、みんな知っている。同じ理由から、「自閉症の役でいいからやってみたい」「クロマニョン人でいいからやってみたい」「ゲイでいいからやってみたい」という言い方をする人もいない。

「ゾンビでいいからやってみたい」というならまだわかる。なぜならゾンビはエキストラが多く、集団で登場し、個性もセリフもほとんどなかったりする。それでも、タダ同然の出演料で(実際タダの場合や、メイクも衣装も自前の場合もある)喜んで出演しているゾンビ役たちのことを考えたら、ちょっと有名になったからって「ゾンビでもいい」と軽々しくは言えない。

でもエイリアンはカイル・マクラクランだってやっている。デヴィッド・ボウイもやっている。ジョン・トラボルタもやっている。

 「エイリアン役でいいからやってみたいね。カッコ笑い」

 

 あんたなんかエイリアン役には100年早い。ほのぼのホームコメディのパパ役でもやるがいい!!

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2007年12月16日 (日)

喪中です

Imgp1122 母親の部屋に飾ってあった、わたしが学生の頃に描いた自画像。
画鋲ではなく鍵フックにかかっていたもので、紐も切れておらず、どう考えても簡単には落ちるはずのない物。
それが13日の夜7時半ごろ、触ってもないし風もないのに、突然壁から落下。

13日の金曜日かと思ったら木曜だった。祖母の病院に電話して容態を問い合わせようという話も出たが、けっきょく電話しなかった。

同じ頃、祖母の妹が意味深な夢を見て、「親戚に何かが起こるのではないか」と思っていたそう。

14、15日は何事もなく、それ以外に特に不思議なこともなし。

今日16日の朝、入院中だった母方の祖母が他界しました。
あさって火曜に火葬です。

なにかと慌ただしい一年でありました。

喪中のハガキ間に合いません。
みなさま、どうぞよいお年をお迎え下さい。

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2007年12月10日 (月)

「ブギーマン」

21hwhd1g4al_aa192_1  真夜中に暗くした部屋で、猫と二人で「ブギーマン」を観た。猫は最初はつきあってくれたんだけど、途中から寝てしまった。この映画は効果音にこだわっていて、扉や古い家の「ギギギギ……」という軋みがポイントなので、ヘッドホンで聴くと良い。

 

 ブギーマンとは、クロゼットから出てくる不思議な怪人。主人公はとっても怖がりな青年で、子供の頃、ブギーマンが父親をクロゼットに引きずり込むのを目撃したという過去を持つ。しかしそのことを誰にも信じてもらえず、「父が蒸発したため、妄想の中に現実逃避した」と思われている。

 

 彼は「あれは妄想なんかじゃなく本当のことだった」と言い張る(彼にとっては確かに現実なのだが)。そして「ブギーマンは、ぼくの大切な人たちを次々と連れ去ってしまう」と嘆く。

しかし母はブギーマンにやられたわけではなく、普通に病死して、葬式まで出している。私の解釈では、彼の言う「大切な人たち」は、やはり自分から彼を捨てて去って行った人たちなのだと思う。

 おじさんはどうして消えたのかよくわからないが、ブロンドのガールフレンドとは、最初からしっくりいっていない。出てくるたびに強引なくらいセクシーに迫るが、彼は応えられない。またこの女、母の死の直後で落ち込んでいる彼を責めたり、「お酒でも飲んでパーッとやろうよ」と、ちょっと軽薄な感じである。

 最初に消えた父も、彼を無理矢理クロゼットに閉じ込めて荒療治しようとするなど、子供の心に添わず大人の理性を押し付けるだけだった。

 こんな人間関係なのにどうして「僕の大切な人たち」と言い切れるのか、そもそもそのあたりが間違っている。

 彼は、幼なじみのケイトだけは死守する(ちなみにケイトは恐怖の対象を「ベッドの下」と定義しているので、ケイトの部屋ではブギーマンの出入り口がベッドの下になる)。ケイトは最初のガールフレンドに比べればよほどマトモないい娘なので、一緒になるならこっちの方が良い。この青年、結局ブギーマンのおかげで不幸にならずに済んだようなものである。

 

 これは、明るいホラーと言ったら変だが、「自分の人生を救うために恐怖に立ち向かえ」という、明確なメッセージ性を持っている。ガイド役の少女が「困った時は原点に戻れ」と言うが、これも、いつも創作で困っている私には好きな言葉。そんなわけで、薄暗い映像とは裏腹に、とっても前向きなお話でした

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2007年12月 3日 (月)

「誘惑のエメラルド」

Photo  山藍紫姫子は昔好きだったが、ある時から新刊が出なくなったので、長い間忘れていた。でも最近、図書館でこの「誘惑のエメラルド」(ただしこれも98年くらいに出たもの)を見つけたので、久々に読んだ。

このストーリーは、

舞台はどこの国だかよくわからないが、中世ヨーロッパ。貧しい男爵家の三男が奴隷として競りにかけられるところから始まる。このへんでもう、「ほら、きたぞきたぞ」と笑い転げてしまう。本当は笑い事ではないのだが、これは歴史の悲惨な面を描く深刻小説ではない。耽美モノとしては、ここは笑う場面なのだ。

この貧しい三男の、かわいそうなミゲル少年は海賊に買われたが、翌日奇跡的に救出される。次に親切な将校に拾われ、将校の友達の公爵家に連れて行かれる。この公爵の城に、エメロードという伯爵が客として滞在している。彼がミゲルを気に入って、専属の召使にする。

エメロード伯爵はその名の通り美しいエメラルド色の目をした美青年。しかしちょっと高飛車な感じで、何を考えているのかわからない。また、たいへん性格が悪くて「毎日、日にちの数だけ奴隷を鞭打つ」というわけのわからないルールを実行する。つまり月初めは1日1回だが、30日になると30回ぶたれる。そんな彼が実は敵の回し者で、城主である公爵を殺そうとしていることがわかってくる。

そしてこのエメロード伯爵、企みがバレて尋問されたあげく、とうとう地下の拷問部屋へ……(爆笑)

           *

「あやしい、あやしいと思っていたヤツがやっぱり犯人だった」というのは怪奇小説によくある手法だ。ミステリーのような二転三転を望む人にはこの快感がわからないらしいので、ちょっと説明すると、

 「あいつは何かおかしい」と思っていた人物が「やっぱりあやしかった」と確定する時のカタルシスが醍醐味なのだ。現実には「あいつは何かおかしい」と思っていても、そう簡単に罪が暴かれるわけでもないし、罰が下されるわけでもない。ところが、たとえばこの小説の中では、陰謀はいっそ軽快なほどにパッパと明るみに出るし、どんどん仕返しや下克上が行われてゆく。この、あっという間に覆されてしまう常識やルール、瞬時に立場が逆転する不確かさが魅力なのだ。

 もしも軽快な逆転、混沌、不確実性などというのが不愉快に感じられ、「そんなバカなことあるもんか。世の中そう簡単に変わらないよ」と言いたくなるのなら……あなたは今現在あま~い汁を吸っている最中なのかもしれない。

 しかし最近は、トップにいた者があっという間に蹴落とされたり、悪事が明るみに出ることが多くなったらしい。現実が怪奇の世界に追いついてきたのだろうか。

 

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