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2008年2月 4日 (月)

無邪気になりきれない男

Kc330031  貧しい若妻が自分の長髪を切ってかつら屋さんに売り、その金で夫へのクリスマスプレゼントとして懐中時計のチェーンを買った。一方、夫は懐中時計を売って、その金で妻に髪飾りを買っていた。二人のプレゼントはどちらも無駄になってしまったが、愛を確かめ合ってとっても幸せ……

という、たいへん有名な物語の作者がこのO・ヘンリ。

わたしも作家名は知らないが、この話のあらすじだけは知っていた。ちなみに、なんとなく実話(新聞のコラムか何か)だと思っていたら、創作だったらしい。題名は「賢者の贈り物」1906年作。(↑O・ヘンリ短編集(二)大久保康雄訳 新潮文庫 より)

この話だけを読むといかにもほのぼの作家みたいだが、他の短編の中にはシニカルで底意地の悪い雰囲気を漂わせるものも多い。

今シニカルと言ったが、「背徳的なことを企んだ者が思わぬ形でしっぺ返しをくう話」ともとれる。つまりピューリタニズムなのか?

とにかく、「賢者の贈り物」に現れるような、真実の愛とか善良さとかを切に求めながらも、同時に他人を盲信するほど無邪気にもなれず、とことん疑ってしまう男――それがO・ヘンリだという感じがする。

唯一、腑に落ちない(ゆえに心に残る)のは、「運命の道」という物語。

 恋人と喧嘩して村を飛び出した羊飼いの青年。

歩くうちに岐路にさしかかり、3つの選択肢を与えられる。それぞれの道を選んだ場合どうなるかという、3通りの結末が3つの物語として描かれる。

しかし、彼の道はどこを選ぼうとも、無名の詩人としての人生と、早すぎる死に繋がっている。

この物語をどう解釈したらいいのだろう?

最初の2つの未来の中では、彼は故郷の村と恋人を捨てて放浪の旅に出るが、謎めいた美貌の貴婦人に恋して身を滅ぼす。

3つ目の未来の中では、彼は考え直して平凡な恋人と結婚し、家業を継ぎ、堅実な人生を選ぶ。ところがどうしても詩作への衝動を止めることができず、詩ばかり書いているので家計は傾き、妻は不幸になり、しまいに自分に才能がないことを思い知って自殺する。

どの未来を選ぼうとも彼は本質的に詩人であり、どうやっても詩人以外のものにはなれないように見える。

それならばいっそ旅に出て謎の美女のために死んだほうがまだ詩人らしくていいのではないか、と思えてくる。

 詩の才能があることと、「存在自体が詩人に生まれついている」ことは別だと言いたいのだろうか?

 こんな不器用なやついないよ、と思いつつ他人事とも思えない悲しいお話。

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コメント

妖魔さま、私はもうこの世にいないと思ってらしたでしょうね。はい、おりません。では、私は幽霊でしょうか?はい、幽霊というのは、こうしてこの世の愛する誰かにとりすがって、生きつづけるもののことです。だから生命は永遠なのです。私が愛したのは、40歳も若い青年でした。青年は無意識のうちにキーを打っています。どうかお許しを。O・ヘンリーは私の愛した作家です。O・ヘンリーが私のなかにおりました。私の名前に不信をいだきませんでしたか?今、私は青年の中に生きています。ああ、いけないことをしてしまっているかしら。

投稿: ゴーティエ | 2008年2月 4日 (月) 12時37分

ゴーティエさま おひさしぶりです
O・ヘンリの愛読者だったのですか。それは偶然ですね(^-^)
ハンドルネームについてふれておられますが
残念ながら私にはその暗号は解けません
(「死霊の恋」の作者のことではなかったのですか?)
ともかく愛する方と一体になれて
たいへんよろしゅうございましたね。

投稿: 小宮七斗 | 2008年2月10日 (日) 18時49分

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