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2009年7月

2009年7月27日 (月)

「身体性としての四季」観てきました

 玉川学園チャペルで、芸術学部のファッションショー見てきました。

 お洋服はいいんです、お洋服は。ほんと素敵。

 ところが、受付で配られた小冊子が個人的に変。

 テーマは「日本の四季」だそうで、たとえば「秋」のページはこんな感じ。

 031

「ネット検索をしてみると『恐慌』という言葉が駆けめぐっているけれど、私たちの豊かな消費生活は変化なし」

って、何ソレ? その「私たち」っていったいどこの誰のこと言ってんの!? そんなヤツがいたら今すぐあたしの前に連れてきて頂戴。一発殴らせてもらおうかしら。

自慢じゃないけど私はその「豊かな消費生活」とやらをさせていただいたことなんてないんですけど! 強いていえばガキの時分にバブルの残滓を舐めた程度だわよ。今日だって無料っていうから来たんじゃないのさ。金があったらとっととバーゲンにでも繰り出してるわよ。だいたい経済的な事情で学校やめてった子なんてあたしが学生の頃からすでにいたし、今ならもっと苦学生いるはずでしょ。この「私たち」ってつまり、「私たち金持ちで親の就職コネもある学生は」ってこと? それともこの子たち、100円ショップで化粧品買って半年に一回ユニクロで5000円分のお買い物するのが「豊かな消費生活」とでも思ってるのかしら。それならそれで幸せかもしれないけど、仮にもデザインをやろうって人がこんな総チープ化した状態を「豊か」なんて言ってるようじゃまずいでしょうよ。

さらにコンセプトページには「百年に一度の不況と言われる現代。それでも私たちの日常は変わっていない。相変わらずエアコンの効いた部屋に閉じこもり、メディアによって外部と繋がっている」とか「冬」のページにも「雪に降る街角の映像をエアコンの効いた快適な室内で見ていた」とか、とにかくエアコンだの空調だのと繰り返し出てくる。どこのどいつよ、今時節約もしないで毎日そんなにガンガン空調フル稼働してるのは! あたしなんか子供部屋にエアコンなかったし、アパートだってエアコンのない部屋借りてたわよ。今だってクーラーも扇風機もつけてないわよ(下着姿だけど)。学校や職場や電車のエアコンは自分が求めたわけじゃないし、夏は冷えすぎて凍えるわ、冬はセーターの下で大汗かくわ、温度差でバテるわ、むしろ大迷惑。こんなのが快適だなんて冗談じゃない。で、結論が「私たちは環境を体で感じることを忘れ」「自然を感じ取る感性が破壊され」って、かなり無理してこじつけてない? 都会には都会なりの四季があるわけで、アスファルトにだって豪雨は降るし、ベランダにだって花は咲くじゃない。好きなら海や山だって行けるじゃない。自分の鈍感や出不精をエアコンのせいにしてどうするの、意味わかんない。

とにかくこんな調子で、四季のページ全部、左側に去年から今年にかけての社会状況や事件の要約、右側にそれとまったく繋がらないポエム風の文章……というトボケた構成になっている。この左側の文章、いらないんじゃないの。ここまで書くなら、お洋服のテーマも「怒り」とか「崩壊」とか「狂った自然」とかにしちゃって、「温暖化で苦しむ白クマを表現したお洋服」とか、「解雇されて派遣村に身を寄せた人のためのオシャレな無料服」とか、そこまでやらないとつじつま合わない。これだけゴタゴタ言っておいて、服の方は「日本の四季を見直しましょう」とかいって、あくまでもキレイでファンシー。季節の表現っていってもアートとしての話で、たとえば「寒い冬をエアコンに頼らず乗り切る服」とかではぜんぜんないんだもの。だったらいっそ何も書かないで、「どうですか、美しいでしょ。日頃の疲れや悩みは忘れてしばし幻想的なひとときを」でいいのに。待ち時間にこの変な冊子読んでたせいで、お洋服見る前からムカムカしちゃったじゃないのよ、どうしてくれるの。

と、いろいろ書いたけど、肝心のお洋服はそんなの忘れさせてくれるくらい素敵なんです、ほんとに。学生は悪くないのよね、きっと。下手に口出した教員とか芸術学部長とか、スタッフ欄に書いてある「コンセプト指導・大島幸治」とかいうこのオッサンがいけないんじゃない? だって学生が安直でもべつにいいけど、指導教員ですら疑問持たないってどうなのよ。「大島ってどの人ですか」ってきいて一発ひっぱたいてくればよかったかしら。

 そういえば学部長の挨拶文によると、このショーは組織の縮図で、企画段階から学生たちが仕事を分担し、協力し合って作り上げることがポイントなのよね。つまりあたしみたいに、こんな部分で文句つけて大島と大ゲンカしそうな人間ははなから失格ってことかしら。あ、ちょっと待って大島。うそうそ、ぶたないから~(って知らない人だけど)。

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2009年7月19日 (日)

永遠の美しさについてのいくつかの考察

005 ある日の考え:

美しくありたいと思うことは、経済機構の奴隷と化すことへのレジスタンスである。なぜならそれは個を主張することであり、必然的に、均一化されたいつでも交換可能な労働力(または兵力)と見なされることへの拒否であるからだ。個性を追求し身を飾ることは、快適さや幸福を得る権利を無言のうちに主張する。

逆の見解。小宮の昔の小説からの抜粋:

宇宙人「おまえはキレイになったな(棒読み)」

地球人「はあ? 意味わかって言ってんの?」

宇宙人「もちろん知っている。それは体制に従順な者に対する賛辞だ。その言葉に値する者とは、上位者が定めたある一連の価値基準を満たし、自ら意図して逸脱することはない」

        *

 若さを保つこと:

 今までのところ、人が(外見的に)早く老けこむか、あるいはいつまでも若く見えるかを決定するのは、生まれつきの要因(つまり遺伝的な素質)プラス、生活環境(当人の努力、または階級・階層・経済的格差などもここに含む)である、というのが私の考えだった。

いまだ謎の多いもうひとつの分野……内面的(精神的)要因について。

最近気付いた事象:

実際の年齢に対して極端に若く見えるのは、むしろ要注意人物である。年相応の責務や社会活動、真剣に何かに取り組むとか他人の世話を引き受けているとかの、つまり本当に裏表なく発展的で良心的な人物は、そういつまでもピチピチ、ツヤツヤしてはいない。ヴァンパイアが年をとらないのは、人の生き血を吸っているからだということになっている。現実の人間でいえば、他人を犠牲にして楽をしているとか、逃げるのがうまい、怠慢とかいった、必ずしも好ましくない性質を隠し持っている場合がありうる。

補足:変人もしばしば年齢不詳である。

反証:生まれながらに強靭で、激務を経ても枯れない人間も稀にあるようだ。

メディアへの批判:美容家たちは「若々しく明るく可愛らしく元気に見えるメイク」などと言い、その目標そのものを疑わない。苦難をくぐりぬけてビターな味や枯れた魅力を増した中年女性の顔を表現する、新しい賛辞を考案すべきである。

          *

女性は恋や満ち足りた性生活や、または出産によって綺麗になるという説:

甘い嘘、幻想。あるいはブルジョアのたわごと。冷静に鏡を見れば、あるいはちょっとまわりを見回してみれば、しまりのない、うすらトボケたような顔になった満ち足りた恋人たち、出産前と比べてあきらかに容色の衰えた乳児の母……などはいくらも見つかる。ただし、きっかけとなった出来事以前の状態によっては真実となる。

実例。あるとき、職場にいた太りすぎの女性が、恋人と暮らし始めてから痩せて綺麗になった。その理由は、彼女がストレス解消と称してやっていた連日の飲み歩きを、倹約家の男が厳しく取り締まるようになったからということだった。

数ヵ月後。やはり性格が合わないと言い、彼を追い出して再び太った。

そのまた数ヵ月後。思い直して生活を改め、食事内容に気をつけてもう一度綺麗になった。禁酒を誓って彼を取り戻した(その後の消息不明、ただしこの時点では確かに前より良かった)

ある初老の女性の反論:「離婚や死別をきっかけにきれいになったり若返ったりする女性も多い」

抜粋(何の本だか忘れた):

アメリカで、年をとっても若くてきれいなのはどんな女性なのかを調べて職業別に分類したところ、最も老化の遅い職業とは、修道女だった。

 疑問。修道女なら恋人もなく、離婚もないはずだ。しょせん人生のドラマより、日々の地道な生活管理に軍配が上がってしまうのか。

                   *

心が容貌に影響を与えるという説に対する、経験に基づく懐疑:

私が本当にうら若かった頃、夜中にひとり部屋に座って、ある人の生皮を剥いで目玉を抉り出そうかという、暗い怒りと復讐心を燃やしてスプラッタな夢想にふけっていた。その最中にはっと振り向いて鏡を見た。するとそこに鬼か妖怪のような自分の顔があった、というなら筋が通る。しかし現実にそこに映っていたのは、あっさりした顔に目をキラキラさせた、むしろ普段より瑞々しいくらいの自分の顔なのだった。その、あまりにも内面と裏腹の、アッケラカンとした顔を見て我ながら驚き呆れ、「まったく外見とはアテにならないものだなあ」と思ったのだった。

ジュネ的補足:強いて言えば、私はその時うしろめたさを感じていなかった。だからそれは「憎いと思いつつそんな自分を恥じて苦悩している顔」ではなく、ただ単に「熱心に考え事をしている顔」でしかないことになる。

さらに補足:仮に10年や20年間ただひたすら同じ事を思い続ければ、外見に反映されるかもしれない。しかしそこまでの集中力は俗人にはない。

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2009年7月 7日 (火)

買っちゃいました

Sn3f0026 毎日少しずつ怪談が読めるトイレットペーパー「ドロップ(鈴木光司著)」買っちゃいました。

でもトイレで使わない。たぶん部屋に置いて鼻かんだりするのに使う。

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Sn3f0028

外側の紙をむいたら、プロローグというより巻きの都合上なのか?いきなり「八」と「九」が出てきた。これがめちゃめちゃおかしくて大爆笑してしまった。これから一日一笑できるかも。

一番最初に使うとき、糊付けされたペーパーの端っこをキレイにはがす裏技:

糊付けされた部分を、上から、指の腹で数回こする。それからめくると、下の紙が破けることなくペロッと取れます。

※あんまりこすりすぎると、トイレットペーパーの芯の穴から赤い手が出てきます。

(嘘)

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2009年7月 3日 (金)

写真展行ってきました

 フジフィルムスクエアの「10000人の写真展 2009」行ってきました。

一人一枚出品でいろんな作品がありました。個人的に地方からの出品コーナーの方がおもしろかった(しかし都民といってもけっきょくのところ地方人の寄せ集めのはずなのに……なぜ!?)同時開催の小学生の写真展もあった。キャッチーです。

 調布市文化会館の「緑川和子回顧展」観てきました。(なぜか写真づくし)。この緑川和子という人は、もうお亡くなりになったらしいが、とってもおもしろいおばあちゃん。仮面、カラス、薔薇、キューピッドや影などの絵画的な写真。甘すぎず怖すぎず、だけどちょっとダーク。ノスタルジック、メルヘン、怪奇、SFチックなものもあった。写真に使ったモチーフのコーナーに展示されていた、カラスの剥製は目からウロコだった(まるで生きてるみたいに撮れてる。私も黒兎やそらまめちゃんを剥製にしていたらどうだっただろう。でも一緒に暮らしたものはかわいすぎてダメ)。飾ってあるものは少しだが、他の作品がおさめられたクリアファイルも見ていたらけっこう大量で時間がかかった。展示作品はHPでも観られます http://cross-talk.biz

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