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2009年11月29日 (日)

エイメ「サビーヌたち」

51ewxmryqyl_sl500_aa240_1  一人は確実に収入を得られる仕事をし、もう一人が芸術的活動をすればいいというわけで、「自分が二人いればいいのに」と真剣に思ったことがあるわたくしです。

 これは最近見つけた、昔のフランス作家の異色な「分身女」モノ。

マルセル・エイメ「サビーヌたち」(角川文庫「壁抜け男」長島良三訳 より)

平凡な主婦サビーヌは特殊能力の持ち主で、分身をつくりだし、どんな離れた場所にも同時に存在できる。この分身たちは肉体と精神がシンクロしていて、無限に増殖することができ、不要になれば合併吸収もできる。

最初は分身を家事に使う程度だったサビーヌだが、あるときセクシーな画家に恋をして、この力を使えば完璧なアリバイのもとに不倫ができると気付いてしまった。この画家は怠け者で、彼女をもっと分身させて金を貢がせようとたくらむ。まんまとのせられてしまったサビーヌ、三人目の分身を大富豪の老人と結婚させ……

 

という調子で、ひょんなきっかけからどんどん分身が増えてゆき、しまいには分身が6万人を越えて世界各国に散らばる。これで彼女に政治的野心でもあったら一大事になるところだが、彼女の関心はひたすら恋に生きることだけなので、いたって平和だ。

ダイナミックなようなみみっちいような、奇抜でおもしろい小説なのだが、この著者、どうしてもキリスト教的世界観を持ち込まずにいられないらしい。

「分身を使って複数の男と暮らすのは道徳的にいいのか悪いのか」と思い巡らすのはまだわかるが、ゴリラと呼ばれる男が出てくるあたりから、だんだんついていけなくなってくる。スラム街で暮らしていた分身の一人が暴力男に襲われたことをきっかけに、他のサビーヌたちが「改心」を始めるのだ。

そもそも恋に関しては負け知らず、しかも分身能力を使えばどんな怪力レイプマンも撃退できたはずの彼女だから、相手の男もそれ以上の超能力と悪知恵を持っていた……という設定にせねば辻褄が合わない。それがただ単にサルみたいなやつで、彼女も「自分には拒む権利がない」と、いつの間にそこまで自虐的になったのかよくわからない。

さらに、どうせ改心するならすべてのサビーヌが結託して性暴力撲滅キャンペーンを始めるとか、女性の経済的自立推進委員会を設立しました、というなら真っ当だ。ところがこの虐待されている分身はそのままに、「他の分身たちの一部が愛人をすてて真面目な仕事につき、清らかで勤勉な生活を始めた」といわれても、なにか釈然としない。

働くのは結構だが(というか今まで誰も働いていなかったのか?)、一人の暴力男のせいで合意だったはずの恋愛や性生活まで否定しはじめる姿からは、「清らか」というよりむしろ「精神的外傷」という言葉が浮かぶ。それでもなおかつ男を信じて愛そうとしている他の「改心していない」サビーヌたちの方が、ある意味すごいとも思えるのだが。

解説によると、この暴力男は「神が」送り込んだことになっている。確かにそう読めないこともないのだが、だとしたら、火遊びした娘を父親が仕置きと称してレイプするのと大差ないではないか。これはまずい。一歩間違えると「奔放な女はちょっと痛い目にでもあえば大人しくなるんじゃないかね」という、昔ながらの暴力的な理屈に繋がりかねないような表現のまずさだ。

そのへんは変なのだが、かなり笑えるブラックな話で、サビーヌと画家とのやりとりもおもしろい。ちなみに画家の方の「改心」の仕方は、かなり順当だった。

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