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2010年3月14日 (日)

居候の極意はパンダに学べ

003 こんなの見つけた。

ツルゲーネフ著「ルージン」金子幸彦訳(央公論社「世界の文学11」より)

 主人公ルージンは長身で男前、しかも口が達者で、ひどく高尚で哲学的に聞こえることをスラスラと喋りまくる。誰もが彼の知性と思想を高く評価し、ときには「天才」とまで言われる。

 そんなルージンが、ある貴族の屋敷にやってくる。最初は、友人の代理として論文を届けに来たのだが、女主人に気に入られ、いつの間にか居座ってしまう。どうやらこの男、タダ飯を食って、あちこちで居候しながら根無し草のように生活しているらしい。30過ぎにもなって、とくに非難される様子もないのは話術のおかげもあるが、どうやら昔のロシア貴族の家では居候がめずらしくないようだ。

この屋敷は地主の母娘の女所帯で、もう一人、パンダレフスキイという居候男がいる。よって一時は、古参のパンダレフスキイと新参のルージン、それぞれ個性的な二人の居候男が同居するという豪勢な状況となる。二人はとくにいがみあうわけでもないが、最後は居候のスペシャリストともいうべきパンダレフスキイが一枚上手のところを見せて、ルージン駆逐のきっかけをつくる。

ルージンはある種の男の典型といっていいようなわかりやすい性質を持っているが、パンダレフスキイはちょっと不思議な、宇宙人的キャラクターだ。あまりに長年いるので、女主人と寝ているのかと勘ぐりたくなるが、そういう記述はない。話相手をして、あとはピアノを弾いている程度なのだ。あとはただひたすら自分の役割と立場をしっかり把握して振る舞い、晩年はそれなりに安泰な収入源ももらったようだ(ビジネス書や生活指南書には、つきつめるとすなわちパンダレフスキイの生き様に行き着くものが少なくない気がする。彼は利口で辛抱強く、見事なシンプルライフを実践している。しかしカッコよくはない)

 ところでこの話、昔のロシア小説の例に漏れず、キャラクター名がややこしい。一番憶えやすいのはパンダレフスキイで、これは頭の中で「パンダ」と略すことができ、東洋的とされるルックスや、ペット的な役どころも動物園のパンダのイメージとそう遠くない。しかしこの同じ人物が、場面によっては「コンスタンティン・ジオミードイッチ」と呼ばれたりする。これは名前の上半分で、会話部分では「コンスタンティン」、それ以外では「パンダレフスキイ」になる。こんな調子で、未亡人のアレクサンドラ・パーヴロヴナ・リーピナ、その弟セルゲイ・パーヴロヴィッチ・ヴォルィンツェフ、隣人のミハイロ・ミハイルイッチ・レジネフ(これはミハミハと略す)等々とこみいった名前の人々が続くのである。

 ルージンに似たところのある人物は実際いるもので、私も何人か知っているが、みんなカッコイイといえばまあカッコイイのである。しかしその魅力にもかかわらず、すぐに芯のない花のようなアンバランスな本性が見える。たぶん私自身の中にルージンと似たところがあるから、それが見えるのだ。それで、たとえ好かれてもそそくさと逃げることになるわけだが、一方では、たとえ苦労したとしても添い遂げるという選択肢もあったと知っている。もしもSFでいうパラレルワールドのような世界があったら、そこにもう一人の私が住んでいて、ルージンのような男と暮らしているのかもしれない、と思うのである。

この物語に出てくるナターリヤは、私が一度もしなかった選択、つまりこのしょうもないルージンを愛するという、勇気ある決断をくだしている。この時点でナターリヤは読者の私にとって、別の世界に住むもう一人の私になる。ところがルージンが煮え切らないものだから、ナターリヤもけっきょく彼に愛想を尽かしてしまう。

(ところでその後にルージンがナターリヤに渡した最後の手紙ではまたしても彼の率直さと頭脳明晰ぶりが発揮されていて、「阿呆ならともかく、ここまで自分の欠点を把握していてどうして直せないんだ」という頭のいい人間の可笑しさがある)

そんな調子で女たちからは見放されるし、理想の高さや周囲から浮いてしまう性格が災いして、始めた仕事は次々と挫折。年取った貧乏な放浪者となってゆくルージン。彼は一体どう生きるべきなのか、こんな人間にも居場所はあるのだろうかと、ヒリヒリするようなスリルを味わいながらページをめくる。

途中、唯一の理解者であるレジネフが「なぜロシアにルージンのような男が誕生してしまったのか、その話はひとまず置いておくが……」と言う場面がある。私としては、この話をもっとしてほしかった。「資産家でなくても高い教育を受けられる制度によって誕生した」とでも言うのだろうか?

最後はハッピーエンドではない。ただ、ともかく作中の人物たちによってルージン問題がほぼ議論し尽くされ、「ルージンの生涯」みたいなものが完結しているので、ちょっとした満腹感がある。この本によって、ずっと前から私の心の中に棲んでいたやっかい者にルージンという名が与えられ、ひととおり人生を生きて、お墓に入ってくれたような平穏――ひとつの墓碑が建ったような安息が訪れる……

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