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2010年4月12日 (月)

「どちらでもいい」

51sczyf5w3l_sl500_aa300_1  アゴタ・クリストフは、「悪童日記」があまりにおもしろかったので、そのほかの作品はいまひとつ記憶が薄い。でもこの短編集は久しぶりにおもしろかった。

「どちらでもいい」早川書房

いかにもやる気なさそうなタイトルのとおり、なんだか脱力したような、それでいてデンジャラスな世界。冒頭の「斧」の過激なおババが早くも親しみを起こさせる。(たぶん「斧」の夫婦は、別の短編「ホームパーティー」の夫婦の未来バージョンなのだろう)。もっともそこで、あら、あたしの好きなパトリシア・ハイスミス風だわ~なんぞと浮かれていると、「家」とか「北部行きの列車」とかでガツンとやられる。やはりクリストフ以外の何者でもない。

「街路」は異色の幽霊譚で、散歩をこよなく愛する男、「死んだら街路にとり憑きたい」「しかし幽霊になった自分を見て怯える子供が気の毒」と変な悩みを持ちながら死ぬ。ロシア怪談「外套」と違って、どこまでも無害な老衰幽霊となる彼の、生前の姿が語られる。彼の「道フェチ」ぶりは、郷愁とか詩的感性とかを通り越し、もはや変質者である。この作者、ここまで書いちゃうところが好きだ。

ヤバくて気になるのは「わが妹リーヌ、わが兄ラノエ」。わずか2ページの中に近親相姦と児童売春というふたつの大罪が盛り込まれた戯曲風の作。妹の語りにでてくる「年寄りの男と女」はおそらく両親だろう。しかしなんでまた売春に駆り立てられたのか、何がどうなっているのかよくわからないまま尻切れトンボのように終わっている。ここまでやったらもう、ラノエのご学友30名様ご一行でもなんでもいいから洗いざらい全部書いてくれないと、かえって気味悪くて印象に残る。

ところで、人体だけでなく作品にも加齢臭というものがあると思う。もし老境になっても加齢臭をまったく感じさせない小説を書ける人間がいたら、それは天才というより「超人」なのかもしれない。そしてそれができるのは、爺よりむしろ婆なのかもしれないと思う。

また、加齢臭が作家の体質と混じりあった時、お香か白檀みたいな比較的崇高な匂いになるか、それとも悪臭と化すか……の境目がどこかにあるに違いない。私はどっちにしても異臭として感知するが、青臭いのはいち早く感知できるくせに爺臭さには鈍感な人、どちらか一方だけを好む人、など読者も様々なのだろう。

「どちらでもいい」に収録されているのは1970年代から90年代に書かれたものというが、この作家もともと老けやすい性質だから、早くも加齢臭が漂っている。しかしそれをありがたがる変態もいるのだから、捨てたもんではない。訳者の掘茂樹という人は完全にそのタイプらしい。この本はクリストフの埋もれた原稿から、編集者がよさそうなのだけ拾い集めてまとめたものだそうだが、もし茂樹が編者までやっていたら大変なことになっていたはずだ。が、ありがたいことにこの本はもともとパリで出されたもので、編集をやったのもパリっ子だったのかもしれない。おもしろいのはたぶん、その編集者のセンスのおかげも大きい。ピリッとスパイシーなのやほどよいオカルト風味、ファンタジー、遊び心もあって、なかなか楽しい品揃えなのだ。

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