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2010年7月

2010年7月28日 (水)

天使たち

012  今の私は、天使と悪魔はそれほど大きく違うものではないと思っている。伝説でも天使と悪魔はもともと同じ生き物で、天使の一部が神に逆らって堕天使になり、さらに悪魔になったという。しかし聖書にあるエホバの神、あれは本来古代人向けの、それも男の理屈だけを反映させた神だ(その点では仏教も同じと感じる)。だから悪魔たちがあの神を認めなかったというなら、天使に留まっていた連中より先見の明があったわけだ。

 私には、天使信者だった時期もある。キリスト教とは関係ない、あくまでも新時代の天使信者だった。悪魔に関する師匠は大勢いるが、天使学における私の師匠はひとりしかいなかった。「エンジェル・ブック(鈴木純子訳・VOICE出版)」の著者テリー・リン・テイラーである。

 テイラーはニューウェーブで、たぶんヒッピーの末裔、生粋のカリフォルニアっ子だ。私の印象では、異常とまではいえないがやや特殊な脳をもった躁病ぎみの人物、地元ではちょっとした名物女なのだろうと想像する。彼女は、すべての宗教は表現や解釈が違うだけで、基本的にひとつだと言っている。多神教ではない。彼女の考える神とはあくまでも創造主であり、これすなわち「無条件の愛」なのだそうだ。

 私が天使学における師をひとりしか見つけられなかった理由は簡単だ。美術や文化財の検証を目的としたものは別として、天使本の多くはバカバカしい。でも「エンジェル・ブック」だけは単純な日和見主義とは感じなかった。とてつもなく実践的だったのだ。現実逃避どころか、天使を現代の実生活に応用して困難を乗り切り、創造性を高めて飛躍をとげようという野草のごときたくましさがあった。

 テイラーを見つけたとき私は美術学科の学生だった。彼女の理論には当時の私を引き付けるところがあった。彼女は独創的で心底リベラル。どこにも属さない。もし違った状況で育っていればパンクか革命家になっていたかもしれないような、アナキズムの香りすらある。

 そして自身が芸術家であるところ。「エンジェル・ブック」の巻頭カラー絵は彼女が描いたものらしいのだが、これが私にはちょっとしたセンセーションだった。

 そもそも、私の美の基準はそれほど広くない。白人の特徴だけ濃厚な、ほっぺの赤いブロンドの天使画にはシラける。仏像はデブの範疇に含む。エジプト壁画の神々の魅力ならわかるが、頭部は動物でも首から下は常に18歳の水泳選手のごとき肉体、という素敵なお約束あってこそだ。いったい、自分よりまずい裸体の持ち主を崇拝できるものなのだろうか?「芸術だから」といわれても納得できない。でもあいつ、あの天使は違った。

 背景も何もなく、真ん中に描かれた全裸の天使、そいつは私の基準だけでなく一般的基準から言っても美しくない。色は水死体みたいだし、やけにゴツい肩幅と短い筋肉質な腕は優美とはいいがたく、小さくしなびて垂れた胸、ふやけた腰つき、脚は太く、翼は貧弱で左右不ぞろい――。

 にもかかわらず、そいつは美しかった。それが謎なのだ。新旧問わず美の基準からことごとく外れた裸体をさらし、けろりと澄ました顔で耳鼻科の綿棒みたいなステッキを持ったそいつ、出来損ないのアンドロギュノス、歳をくったキューピッドみたいなものが、なぜか文句なく神聖に見える。つぶらな眼差しと唇だけは愛らしいが、かといって服を着せると浅薄になり、首から下を隠すと存在感が消える。やはり全体として、このアンバランスでフリークめいた裸体あってこそのやつなのだ(ヤツといったら失敬なようだが、年齢や性別が見事なまでにぼかされているので、なんとも言いようがない)。

ところでこのテリー・リン・テイラーも、私が今の考え――天使と悪魔はそれほど大きく違わない――に至った理由の一つだ。つまり、天使は悪魔以上に人の苦悩がわからない。わからないこそ天使なのだ。

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