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2010年11月27日 (土)

みんな、人それぞれの幽霊

0292  幽霊の話をしていると、ときどき「自分は死が完全な消滅だという考えには耐えられない。魂や死後の世界を信じたい。だから幽霊も信じる」と言う人に出会う。私はこういう「信じたいから信じる」型の考えがどうにも好きになれない。ただ、年配者が理由をあえて自問することもなく「霊はいる」と言い切ってしまうのに対して、若者は「だって信じたいんだもーん」と、自分のご都合主義をちゃんと自覚している、つまり客観性があるといえるのかもしれないが(それに「絶対に信じない」という頑迷で無味乾燥な世界観よりはずっとましだとも思うのだが)。

死んだらどうなるのか、今生きている者にはあくまでも「わからない」はずなのだ。私は死が完全な消滅という可能性は充分あると思っているし、それを否定してしまうのは卑怯な逃げの姿勢に思える。もしも死が消滅で、魂などというものが幻想ならば、「何も残らず消えてゆく自分」という事実に、とことん向き合うべきだと思っている。自分で言うのも変だが、私の中でこの探究心だけは強烈に純粋なので、絶対に誰にも汚されたくない。

であればこそ、最後の日々が孤独なのは悪いことではない。納得いく死を迎えられない原因は、もっと別のところにあると思う(たとえば貧困や、現代の病院のシステムなど)。死という過酷にして荘厳な、人類最大の謎と神秘を目の前にしたとき、まわりを浅はかな人々に囲まれて能天気な慰めなど聞きたいと本当に思うのだろうか? 死の前では誰しも無力で孤独、そこからどんな自分なりの真実を見出すかが重要なのに、甘えやごまかしでそれを曇らせるのはもったいない。

最近聞いたのだが、こういうことは末期病棟の医師の間でも意見の分かれるところらしい。「死に直面することは、自らの死という現実を厳しく突き詰めてゆくことによって悟りに到達する機会。安易に信仰や幻想に逃げ込んで目をそらしていては、せっかくの高い精神性を得る機会を逃す」と主張する人がいる一方で、「最後の時をせめて心安らかに過ごせるならば、たとえ虚構であっても、その人が信じたいものを信じればいい。医師として、患者の救いとなる信仰や幻想は、大事にしてあげるべき」と主張する人もあるという。

これはたぶんどちらも正しい。私だってなにも、天国を信じて穏やかに微笑んでいる末期患者に向かって、わざわざ疑問をつきつけたいとは思わない。しかし近々死ぬ予定があるわけでもなく、まだ充分精神の耐性があるにもかかわらず、早々と幻想に逃げ込んで探求をやめる算段をするのはあんまり情けない。若いうちから「ひとりはさびしい」「愛する人々に囲まれて死にたい」などという人に出合うたび、「ああ、この人も同志ではなかった」という際限なく繰り返される失望の中で私は生活している。これは物理的な孤独とはまた違った、思想の孤独である。

ところで私の家はもともと、曽祖父の代から神仏(ひいては死後の世界)の存在を、完全否定していたという。だからといって信仰抜きに死と向き合うことの厳しさを伝えていたとは言いがたく、単に科学至上主義のはしりだったのかもしれない。親族の中には、彼の思想に逆らって熱心な宗教信者になった女性たちもある。

私自身、子供の頃「死っていうのは無なの。なんにもなくなるってことなんだよ」と聞かされていた。しかし子供にも子供なりの文化があるので、「幽霊はいるのに。大人はバカ」と思っていた。それは大人たちのつまらない合理主義と、自分たちの豊かな夢想の世界とを隔てる、ひとつの障壁でもあった。19歳頃に、あるヒッピー的思想がひらめいた。それは、

「この世の生命は、草花や水中の微生物に至るまで、すべて繋がったひと続きのもの。すべては地球と呼ばれるこのひとつの巨大な生命体の一部に過ぎない。つまり地球を一人の人間にたとえたら、動植物はその細胞のひとつ。私が死ぬという事は、その人間から髪が一本はらりと抜け落ちるのと同じ、無数にある細胞の代謝に過ぎない。私という細胞が剥がれ落ちたとき、地球上の別の場所では新しい種が芽吹き、新しい蕾が花開いている。その瞬間ある場所では鳥が死に、別の場所で蜜蜂が生まれている。すべての生命の誕生と死は地球にとって等価値であり、自分の生死だけが一大事と思うのは人間の主観」

こんなことは、もう何世紀も前にどこかの哲学者が考えて、特別新しいことでもなんでもないに違いない。しかし私にとってはまぎれもなく自分の思いつきであって、当時は熱狂して誰彼かまわず喋りまくったほどの大発見だった。

しかしこの考えも、「ある事件が起きると、その空間(建物や家屋)に見えない傷が残る。幽霊とはすなわち空間の記憶が映し出すもの」という『シャイニング』式の考えと矛盾はしない(少なくとも私の中では矛盾しない)。この理屈によると、幽霊とは死者の霊魂ではなく、ある場所に強く焼きついた残像のようなもの、ということになる。だから魂は常に流転するとする輪廻転生思想とも矛盾しないし、逆に「魂は存在しない」という考えとも矛盾しない。私はこの空間説がけっこう好きだ。

ともかく闇の世界の探求は最後の瞬間まで完結しないはずで、だからこそおもしろいのだ。

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