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2011年2月 1日 (火)

新春薔薇づくし

初めて読むとは思えないくらい妙になつかしい小説にたまに出会うが、これもそのひとつ。「まさか一度読んでド忘れしたんじゃないだろうな私」と疑ってみるが(こんなふうに自分を疑うのはサイコホラーみたいに怖い)、日本語訳が出たのが2004年だから、たかだか6年で内容をまるごと忘却することはありえない。たぶんこの本の影響を受けた作家がたくさんいて、そっちを読んだから知ってるような気がする?と考えるも、本国イギリスでの出版も95年で、作家たちの大先生というほど古い作品でもない。なんだかよくわからないが親しめる本。

51n13vwew8l_sl500_aa300_1「グノーシスの薔薇」ディヴィッド・マドセン著 角川書店

扉のコピー「聖下は女役を好まれる。まるで初夜の花嫁のように・・・」を見て思わずプッと笑ってしまった。ルネサンス時代のイタリアで、ひょんなことからおネエのローマ教皇レオ十世の側近になった男、ペッペの物語。

ブラックな笑い満載で、会話がいちいちおもしろい。世界史や美術史でおなじみの有名人たちも登場して裏話に花が咲く。レオナルド・タ・ヴィンチやラファエロの生態は抱腹絶倒だ。学生時代に「マルティン・ルター/宗教改革」と丸暗記した記憶があるが、ルター事件も詳しく盛り込まれていて「あーそういうことだったのね」と再確認できる。これは実在の人物ではないのかもしれないが、個人的にセラピカが好き。残念ながらジュリアーノ・メディチはあまり出てこない(藤本ひとみのメディチ小説では期待通り過ぎるくらいのスター扱いだったのに。そもそも教皇レオ十世といわれてもピンとこないので、「ジュリアーノの兄」と最初に書いてあればわかりやすかったのに)

 題の「グノーシス」とは語り手ペッペが信仰している宗教で、当時キリスト教会から見て異端とされ、弾圧されたらしい。なにが違うかというと、キリスト教ではこの世界は神が創ったことになっているのに対し、グノーシスは「神が創造したのは霊的世界だけ。物質から成るこっちの世界は、悪魔が神の世界を真似て創ったジャンク版だ。だからこの世は基本的に地獄であり、邪悪と苦悩に満ち溢れている。この物質界と肉体を軽蔑し、常に精神世界の高みを目指せ」と主張する。ようは「大事なのは物体より精神」という教義であるため、異形の小人であるペッペも教団の人々にあたたかく迎えられ、そこに居場所を見出す。

私には自然への敬意を欠いた考えに思える(もっと謙虚に「他の動植物は知らないけど人間は邪悪な存在です」と言うならまだわかるのだが)。教団の師アンドレアは、高い知性とカリスマ性を持ちながら、時に忠実な弟子のペッペさえ当惑させる奇行人間でもある。ただ信者たちが虐殺されたとき、ペッペが生き残った者から事件の詳細を聞くシーンで、教義に照らして「聞きたくなかったが、聞く義務がある。無知は悪魔の道具だから……」等々と語る、その哲学だけは非常に納得できる。

この宗教はその後どうなったのか、現代のスピリチュアリズムの原型のような感じもする。多分形を変えてどこかに受け継がれているだろう。

必見はもちろん、教団のラウラが改宗を拒んだ末に燃される場面。火刑の描写が凄絶で、美しくて、残酷、絢爛たる幻想と恐ろしくも悲しい現実の間を行き来し、サディスティックな興奮に沸き返る野次馬の熱気の中でエロチックな様相さえ帯びて散ってゆく。この後、師匠アンドレアが異端審問官への報復を決意。最後は円形闘技場の廃墟で宗旨のぶつかる男2人が全裸で死闘を繰り広げ、これがまたエロくて壮絶。そう、炎に包まれる恋人も、最後の肉弾戦も、伝統的アクション映画の要素。その精神性をペッペが鋭い洞察で暴露してみせる。彼から見ればきっと、これを楽しく読んでいる私も醜い野次馬。でも、いいの。なぜなら自分を知らないことは罪だし、聖女のごときわたくしにも過激で淫らでグロテスク好きな悪魔の血が流れていることを常に再確認しなくちゃいけないから・・・(という教義なんです、グノーシス)。

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