ファッション・アクセサリ

2009年11月15日 (日)

予算内で地球人女性になる

116  高校で同じクラスの友達の部屋に入ったところ、化粧道具一式がドレッサーの上に、お店のようにきれいに並んでいるので驚いたことがある。学校でも外でも卒業してからも、その人が化粧した顔を見たことがなかった。「使わないの」ときくと、「使ったことない」という。「じゃあどうしてこんなにあるの。誰かにもらったの」ときくと、「自分で買った。とりあえず持ってるだけで満足」という。実際その表情は晴れ晴れとして、「使いもしないものを買ってしまった、アアもったいない」などという悔恨は一片たりともうかがえない。

これは極端な例かもしれないが、たしかに化粧品は実用性だけでなく遊びやインテリアの要素も強く、買うこと自体が楽しい。金銭的・時間的に余裕があるなら、あれもこれも試したい。

余裕がなければ当然「実際必要なものだけ買おう」と思う。ところがそう思っても、何が必要で何が必要ないのか長い間よくわからずにいた。種類が多すぎるのだ。

買ってはみたものの結局あまり使わなかったものを「必要ない」と判断する。それを繰り返して何かを知るには、ある程度の歳月と経験がいる。そして「だまされた」「失敗した」と思ったときには、ほどほどに痛みを感じる神経が必要である(少しも痛みがないと学習できない。逆に痛みが強すぎると二度と冒険できず、いわゆるケチと化す。この感覚は生まれつきのような部分もあり、必ずしもその人の収入と直結しない)。

これは、私の経験から割り出した「実際に必要」な化粧品です

日常的に必要:

ローション、フェイスパウダー、眉毛を描くペンシル

季節によって必要:

春夏 日焼け止め

秋冬 椿かオリーブかスクワランか、とにかく何かのオイル

とりあえずこれだけあれば年間乗り切れる。オイルは自分に合ったもので、油焼けしにくいもの。1本で顔、髪、唇の荒れ、手荒れ、爪、かかと、などマルチに使いまわす。顔用だけ別に上等のオイルを買ってちびちび使うなどしていると、けっきょく劣化させてしまう。30mlくらいのを買って、開封したらどんどん使って、酸化しないうちにカラにした方がマシ。食用油で代用すると、匂いや使い心地が不愉快。ただ何も無しで真冬を過ごすくらいなら、食用のバージンオリーブオイルかグレープシードオイルを容器に小分けにしてでも使ったほうがマシ。

とろっとしたクリームやジェルや美容液は、基本的に肌の乾燥に効かない。なぜ効かないかバイオな理由が書いてあるサイトはあると思うが、細かいことはさておき、実感として効かない。安全性にこだわって選べば選ぶほど効かない。水で薄くといた糊を顔にのばしたようなもので、しばらくすると乾いて見えない膜になる。水で洗うと再びヌルッとして、粘液みたいなものが流れ落ちるのがわかる。顔に吸収されるわけではなく、表面にくっつく→流れ落ちる をただひたすら繰り返す。値段の割に合わない。だからなくてもいい。もしくは「夢を買った」と割り切る。

お出かけ用に買い足すとしたら、

ファンデーション、チーク、アイライナー、アイカラー(濃い色と、キラキラした白っぽいもの一個ずつ)、マスカラもしくはアイラッシュ、リップグロス

これは全部そろっていてもいいし、一つ二つ欠けていてもいい。余裕が出来次第、興味のあるものや、自分の顔にとって優先度の高いものから順に「ふだん用」に追加してゆく。

ポイントは、「どうしても必要な道具群」と、「ないならなくてもいい道具群」を分ける。

 新たに人間界へ来る者への忠告:オリーブオイルはオリーブからとれるし、馬油は馬からとれるらしいが、「ベビーオイル」だけは赤ん坊の脂肪を搾り取ったわけではない(肌によさそうではあるが)。間違って人の脂を売る商売など始めないこと。

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2009年7月27日 (月)

「身体性としての四季」観てきました

 玉川学園チャペルで、芸術学部のファッションショー見てきました。

 お洋服はいいんです、お洋服は。ほんと素敵。

 ところが、受付で配られた小冊子が個人的に変。

 テーマは「日本の四季」だそうで、たとえば「秋」のページはこんな感じ。

 031

「ネット検索をしてみると『恐慌』という言葉が駆けめぐっているけれど、私たちの豊かな消費生活は変化なし」

って、何ソレ? その「私たち」っていったいどこの誰のこと言ってんの!? そんなヤツがいたら今すぐあたしの前に連れてきて頂戴。一発殴らせてもらおうかしら。

自慢じゃないけど私はその「豊かな消費生活」とやらをさせていただいたことなんてないんですけど! 強いていえばガキの時分にバブルの残滓を舐めた程度だわよ。今日だって無料っていうから来たんじゃないのさ。金があったらとっととバーゲンにでも繰り出してるわよ。だいたい経済的な事情で学校やめてった子なんてあたしが学生の頃からすでにいたし、今ならもっと苦学生いるはずでしょ。この「私たち」ってつまり、「私たち金持ちで親の就職コネもある学生は」ってこと? それともこの子たち、100円ショップで化粧品買って半年に一回ユニクロで5000円分のお買い物するのが「豊かな消費生活」とでも思ってるのかしら。それならそれで幸せかもしれないけど、仮にもデザインをやろうって人がこんな総チープ化した状態を「豊か」なんて言ってるようじゃまずいでしょうよ。

さらにコンセプトページには「百年に一度の不況と言われる現代。それでも私たちの日常は変わっていない。相変わらずエアコンの効いた部屋に閉じこもり、メディアによって外部と繋がっている」とか「冬」のページにも「雪に降る街角の映像をエアコンの効いた快適な室内で見ていた」とか、とにかくエアコンだの空調だのと繰り返し出てくる。どこのどいつよ、今時節約もしないで毎日そんなにガンガン空調フル稼働してるのは! あたしなんか子供部屋にエアコンなかったし、アパートだってエアコンのない部屋借りてたわよ。今だってクーラーも扇風機もつけてないわよ(下着姿だけど)。学校や職場や電車のエアコンは自分が求めたわけじゃないし、夏は冷えすぎて凍えるわ、冬はセーターの下で大汗かくわ、温度差でバテるわ、むしろ大迷惑。こんなのが快適だなんて冗談じゃない。で、結論が「私たちは環境を体で感じることを忘れ」「自然を感じ取る感性が破壊され」って、かなり無理してこじつけてない? 都会には都会なりの四季があるわけで、アスファルトにだって豪雨は降るし、ベランダにだって花は咲くじゃない。好きなら海や山だって行けるじゃない。自分の鈍感や出不精をエアコンのせいにしてどうするの、意味わかんない。

とにかくこんな調子で、四季のページ全部、左側に去年から今年にかけての社会状況や事件の要約、右側にそれとまったく繋がらないポエム風の文章……というトボケた構成になっている。この左側の文章、いらないんじゃないの。ここまで書くなら、お洋服のテーマも「怒り」とか「崩壊」とか「狂った自然」とかにしちゃって、「温暖化で苦しむ白クマを表現したお洋服」とか、「解雇されて派遣村に身を寄せた人のためのオシャレな無料服」とか、そこまでやらないとつじつま合わない。これだけゴタゴタ言っておいて、服の方は「日本の四季を見直しましょう」とかいって、あくまでもキレイでファンシー。季節の表現っていってもアートとしての話で、たとえば「寒い冬をエアコンに頼らず乗り切る服」とかではぜんぜんないんだもの。だったらいっそ何も書かないで、「どうですか、美しいでしょ。日頃の疲れや悩みは忘れてしばし幻想的なひとときを」でいいのに。待ち時間にこの変な冊子読んでたせいで、お洋服見る前からムカムカしちゃったじゃないのよ、どうしてくれるの。

と、いろいろ書いたけど、肝心のお洋服はそんなの忘れさせてくれるくらい素敵なんです、ほんとに。学生は悪くないのよね、きっと。下手に口出した教員とか芸術学部長とか、スタッフ欄に書いてある「コンセプト指導・大島幸治」とかいうこのオッサンがいけないんじゃない? だって学生が安直でもべつにいいけど、指導教員ですら疑問持たないってどうなのよ。「大島ってどの人ですか」ってきいて一発ひっぱたいてくればよかったかしら。

 そういえば学部長の挨拶文によると、このショーは組織の縮図で、企画段階から学生たちが仕事を分担し、協力し合って作り上げることがポイントなのよね。つまりあたしみたいに、こんな部分で文句つけて大島と大ゲンカしそうな人間ははなから失格ってことかしら。あ、ちょっと待って大島。うそうそ、ぶたないから~(って知らない人だけど)。

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2009年5月24日 (日)

今月のクラフト

Imgp6720  これはフェイスパウダーです。もとはありがちな白いコンパクトケース。買ったけどあまり使わなくなったマニキュアで塗装して淡い金色に。

 普通に爪を塗るときみたいにマニキュアを二度塗りして、好きなシールを貼って、最後にトップコートを塗ってできあがりです。

 同じ色で、セザンヌの丸型コンパクトを塗装して持ち歩いていたが、4月の末に化粧室でちょっとした隙に持ち去られた(なのでもしこれと似たコンパクトを持っている人があなたの横にいたら、そいつはたぶん小宮から荷物ごと盗んだ女です)。しかたないからもう一度作った。おかげで引き出しに眠ってた金のマニキュア一本使い切りました。

Sn3f00100001 おまけでもらった携帯電話ケース

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Imgp6717  これは簡単です。100円ショップで買ったワッペンをボンドで貼った。

 気合入ったケースに変身!

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Sn3f00080001 ブーツ磨いた。キレイになりました。近所の修理屋さんで靴底を補修してもらって2000円くらいした。気に入った編み上げブーツはなかなか見つからないから貴重です。わりと一年中履く。でも夏の数ヶ月間だけ、しばらくお休みさせます。

 秋にまたよろしく。

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2008年12月17日 (水)

憧れのシルク……

 

001  パンティストッキングは嫌いだ。必要がなければ絶対着ない。しかし職場の規則でどうしてもストッキングを着用せねばならない。せめてガーターストッキングにしようかとも思ったが、不真面目なイメージがあるので、屈んだりお辞儀したとき後ろからチラッと見えたら困る(ストッキングの本場西洋では、そもそもお辞儀の習慣がないんだろう)

 絹のストッキング買ってみた。気分は古い映画のヒロイン。

昨今の品はすべてが絹ではなくて、ナイロン糸の芯に絹糸を巻いたというものなので、それなりに伸縮性もある。そしてこれがなぜか、微妙にあったかい。少なくとも、つま先が冷えて氷みたいになることはない。これをはくようになった後、たまたま普通のナイロンのパンストで出かけたら、違いがひしひしとわかった。好きになりそう。ただし一足1000円くらいする。高いです。長持ちすることを祈るしかない。ネットに入れて洗濯機で洗ってもいいらしいが、もったいないからなるべく手洗いする。

どうでもいいけど、絹って蟲の分泌物なのよね……

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2008年10月13日 (月)

シューズ リメイク

003_2 飽きちゃった白い靴。

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材料  接着剤

そと歯ワッシャー(ネジ留めに使う部品で一袋¥128。写真ではイマイチだけど、キラキラしてとてもキレイ)

テロンソンの「染めQ ギンギラ銀」 大工センター等で¥748

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中に新聞紙を詰め、ゴム底のヒールはガムテープで覆う。

 数回スプレーしたら出来上がり。染めQはすぐ乾くし、革のソフトな質感も変わらない。すごい。ただし匂いはけっこう強烈です。

006 007  ヒール部分にはワッシャーを接着。

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銀の靴で踊れ!!

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追記:

1212 雨の日にはいて歩いたら、少し色がはげてしまった。白地に銀を重ねていたため、それほど目立たなくて済んだけど……。残ったスプレーを使って修正しなければならなくなった。晴れの日に歩くぶんには問題ないようです。

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2006年12月25日 (月)

帽子考。どこまで脱帽するか?

Cap

あれは数年前の今日、知り合いにクリスマスイベントに誘われ、ちょっとした出来心で、教会というあのおそるべき館に足を踏み入れてしまった(人は財政難に陥ると、とかく「無料」という点に惹かれて個人的信条をおろそかにしてしまうのだ)。

私が悪魔だから教会が苦手、というわけではない。教会というところは、実際に奇人が徘徊している不気味な場所なのである。

その日は寒かったのと、寝癖を直す時間がなかった(私は軽度のクセ毛である)ので、ニット帽をかぶっていた。

さてイベントが始まるのを待っていたら、後ろに座っていたおじさん(おじいさん?)が私の背中をつつき、それが何か重大なことでもあるかのように「帽子は取りなさい」と深刻そうな小声で注意する。

はっきり言って「教会では帽子を脱がねばならない」というのはエセ規則ではないかと思う。この教会だけのルールなのか、それともこのオヤジが勝手に考え出したルールなのかは知らないが、少なくとも万国共通のものではない。私は欧米映画の中で何度も、ニット帽をかぶったまま教会に参列している人々を見たことがある。ある小説で、礼拝に退屈した少女が周囲を見回し、「毛糸の帽子をかぶった人が何人、毛皮の帽子の人が何人」と数えて気をまぎらわすシーンも見たことがある。

礼拝だけではない。結婚式でも女性は帽子着用のままだ。葬式では、黒いヴェールのついた帽子をかぶっていたりする。もしもあれを「教会の中だから脱げ」といったら変だ。

私の家庭では「女性の帽子は男性の帽子と意味が違い、洋服やアクセサリーの一部と考えるべし。よって屋内で脱ぐ必要はない」ということになっていて、私もそう教えられて育った。

しかし中には勘違いしているのか、それとも西洋文化をよく知らないので、女性の帽子も男性の帽子と同列に扱う人がいる。小型のフェルト帽をかぶったまま彼氏とレストランに入ったら、「帽子は取れよ」といわれたこともある。そのときは気心の知れた仲なので「女性の帽子は男性の帽子とは意味が違う」と説明してわかってもらった。

しかし教会で見知らぬオヤジと言い争うのもいやだから、ここは譲ってやろうと思い、ニット帽を脱いだ。するとこのオヤジ、さも満足そうに「神の家では帽子はいらない」と呟いた。そして彼の横にいたらしいもう一人のオヤジが、感極まったように「ほんっとぉーに、その通りですねえ」と同意するのである。

浅知恵から「脱げ」と言ってしまったことはまだ許すが、こういう独善的なところが私には我慢ならない。

そもそも人に対して、何か身に付けているものを脱げとか取れとかいうのはすごいことなのであって、性的な含みが無いからいい、というもんではない。帽子も服の一部で、靴下や手袋やアクセサリーと同じ、と知っていれば「ストッキングを脱げ」と言うのと同じくらい大胆なことだとわかるはずだ。それでもなんでも言わねばならない時は、少なくとも「自分はやむをえない事情から、女性に失礼なことを要求しなければならない」ということを認識して言って欲しいと思う。

ところで、いくら「男性の帽子と女性の帽子は意味が違う」といっても、最近では女性も男性と同じ型の帽子をかぶるようになってきた。ハンティング帽とか、カウボーイハット、中折れ帽、そしてキャップなどだ。こういうのはどうしたらいいんだろう?

男性の帽子――(元々帽子は外来品なので)欧米の伝統からいえばキャップ・中折れ帽・カウボーイハット・麦藁帽子などは、屋内では脱ぐべし、ということになる。

ただ頭にピッタリしたニット帽なんかは、セーターの延長(もしくはセーターの一部)のようなもの、と私はとらえている。部屋に入ったからといっていちいちセーターを脱ぐ必要はないので、よほど暑いのでもない限り学校だろうが店内だろうがかぶったままでもいいのではないだろうか。鳥打帽や、丸型の帽子も同様で、とにかくフィット系のものは男でも脱がなくてよいのではないかな、と私は思っている。

私の場合、男性型のキャップやカウボーイハットであっても、気軽なレストランなんかでは脱がない。いったんかぶってしまうと、ヘアスタイルがただ事ではなく崩れているので、脱いだ方がかえって人様に対して見苦しいのではなかろうか?

ただし映画館や絵画展では、後ろの人の邪魔になるといけないから、何をかぶっていてもとりあえず脱ぐ。

というのは私のMYルールで、他の人には他の考えがあるかもしれない。

いつ、どんなとき脱帽してますか? そしてその理由は?

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2006年11月19日 (日)

紫のきみ

Parple  私がよく利用するC駅で以前よく見かけた、紫の髪をした女性を、最近見かけなくなった。

あの人はたぶん、バイトが終わる時間が、私と同じだったのだ。それとも日暮れからのお仕事だったのだろうか? 私がどこにも寄り道しないでC駅に戻ってくる時、あの人もC駅に向かって歩いてきて、電車に乗る。

私は彼女を見るのが楽しみだった。ああ、あの腰まである長いまっすぐな美しい髪、ファンタスティックな、グラスに注がれたワインそっくりの色に染められた髪! どうしたらあんな絶妙なワイン色になるのかわからない。一度脱色したにしてはつやつやサラサラだし、色も濃くて深みがある。

やや小粒の華奢な女性で、どこかヨーロッパ風の愛らしい顔立ちは、妖精のよう、という表現がぴったりだ。唯一の欠点といえば、眉毛がぜんぜん無いことくらいである。私は、よけいなお世話だが、「眉毛も紫で描いておけばいいのに」と思ってしまう。しかしどうも彼女は、髪の毛にはこだわりがあるくせに、眉毛なんかはどうでもいいらしくて、とにかく描いていない。そもそもメイク自体していないのかもしれないが、それにしては、やけに白くて均一な肌をしている。不透明で、不思議に人工的な白さだ。

服装がまたおしゃれで、いつも細身のジーンズに、フォークロアやエスニック調の、ひらひらしたトップスを合わせていた。それも、髪の毛とのマッチングを考えてか、たいがい紫がかった柄のものを着ている。あの上から裏がふわふわのムートンのコートなんかを羽織ったらさぞすてきだろう――と勝手に想像していたので、寒くなった今の季節に彼女の姿が消えて、悲しい。

この女性、服装や体型やかわいい横顔から、てっきり年下かと思っていた。ところがある日、真正面から間近に顔を見てしまい、それほど若くないのを知った。30代の後半くらいのようだった。

そうなると、なおさらミステリアスである。どうしてあんな髪をしているのだろう? どうやってあの少女のような体型を保ち、ファッションも個性的にキメているのだろう?

女友達はよく「ずっと綺麗でいたいわ」と言うが、それは多分、口にするほど簡単なことではない。多くの人にとって、髪型や服にこだわるのは、若い時期の一過性の症状で終わる。ファッションへの情熱やエネルギーを、何年も、何十年も保ち続けるのは難しい。

年をとっても凝った若作りのおしゃれをしている人には、若い頃に何らかの事情で地味な生活を余儀なくされていたような、悲しい過去があったりする。昔できなかったから今やってやる、というわけだ。そんな人の服からは、話をきく前から「あたしの青春を返してくれ!」という無言の叫びが聞えてきて、見ているこっちの脳髄がキリキリ痛くなってくる。

でも、あの紫の髪の人からは、そんな怨讐の叫びは聞えない。その点で、かなり成功した例だ。派手で個性的ながら下品ではなく、髪も服装も自然に身についている。でも、それでもやはり、彼女は遅咲きの人なのかもしれない、と私の頭の一部がささやく。だとしたら、どんな遅咲き事情があったのだろう、と思いをはせる。

私の勝手な予想は、「病身による遅咲き」。しかしそうなると、なおさら姿が見えないことが気にかかる。

いや、もしかすると彼女は人間のふりをした宇宙人で、ただかぐや姫のように、自分の星に帰っただけかもしれない。

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2006年7月24日 (月)

暑くなると考えることシリーズ②

Photo_12  ←自分で作った入浴剤(中身は……重曹など)

 暑くなると考えること。それは、「夜の香り」って何!?

甘ーいオリエンタル系の香りが好きな私。

私が好きになる香水は、雑誌やカタログの紹介では、必ずといっていいほど「夜用」または「秋冬向き」と書かれている。そして「特別な日のために」「誘惑」「挑発的」といった言葉が続く。

そこでいつも、「夜の香りっていったい何? 昼に使っちゃいけないの?」という疑問が浮かぶ。さらに気になるのは「秋冬向き」という言葉で、これまた「夏に使っちゃいけないの?」という疑問がわいてくる。

そうして、毎年夏になると「昼間の香り」または「夏の香り」を求めて、売り場のサンプルからサンプルへとさまよう。

ところがどういうわけか、「夏向き」とうたわれた商品はことごとく性に合わない。「爽やか」「健康的」「透明感のある……」などの宣伝文句がついたものは、たいがい苦手。フレッシュも、フルーティ・フローラルも、グリーンも、シプレ系もダメ(もちろん、自分が使いたくないというだけで、他人が使っている分にはまったくかまわない。似合うもんは人それぞれだし)。

というわけで、私はもう、夜か昼かも、季節も、あまり気にしないことにした。好きなものは一年中好きだし、苦手なものはしょうがないではないか。いいの。心はいつも真冬の夜の星座だから。(←?)

ところで最近、毎晩のように香水風呂に入る。どうしてかというと、去年やおととしの夏に、お買い得だから買ってみたものの「やっぱりしっくりこない……」と放置してしまった夏向きのフレグランスが余っていたから。

しまっておいても品質が劣化するだけなので、「ええい、風呂に入れてしまえ」とやってみたらば、普通に使ったときとはまた別の香りがして楽しかった。

自分の肌につけるとイマイチなのに、お湯に入れるとすごーくいい香りがしたりする。不思議だ……。

しかしウチの周辺は木が多い上に、風呂場の窓に網戸がない(網戸をつけられない変な構造になっている)。だから虫が来る。蚊やアメンボ(?)は常連。ダンゴムシ、ムカデ、ナメクジもよくおでましになる。

特にフルーツ系の香水入りのお湯を、翌日まで浴槽に溜めたままにしておくと、なんとなく飛行系の虫が増える。そんな時は、シダーウッドや白檀が含まれた香水の風呂にすると、再び虫の数が落ち着きます(もちろん、いなくなるわけではない)。

最後は電気を消して蝋燭ランプを持ち込み、「ここは秘境の密林リゾートなの。だから虫がいるのよ」と、想像の力でムリヤリ自分を納得させるしかない。

そう、お風呂は、きっと想像力豊かになれる場所なのだ。特に、否応なく虫たちとの触れ合いの場となる季節には……。

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2006年7月10日 (月)

「こんにちはマドモアゼル」内藤ルネ著

_001  図書館で発見した不思議な本。1959年に出た本の復刻版で、ティーン向けファッション記事がでている。メンズ・レディースといったぐあいに分かれておらず、少年と少女のファッションが同列に、対のような形で扱われている。小物や雑貨、人形の作り方まで書いてある。海外の古典ロマンスを訳した短編小説も載っている。

作者の内藤ルネ(当時26才)が、文章も撮影もイラストもほとんど全部自分でやったというからすごい。そしてモデルの若い男が編集も兼ねているという。どうしてそうなったのか、人手がなかったのか資金がなかったのかはわからない(単に個人的に親しかったからかもしれない。べつにファッション記事を書くからおネエだと決め付けるわけじゃないんだけど)。

もちろん50年代のファッションだけあって、「何だこりゃあ!」という妙なのも多い。しかし、物も情報も乏しい中で、めいっぱい楽しもうというクリエイティヴなパワーがある。とにかく自分で作ること、アレンジすることを提案している。

たとえば、

欲しくてたまらなかつたけれどあまり高価なので買えない――といつたプリントをやつとホンの1mほどでも買つた時の嬉しさ!

 といって、花柄のちっちゃなプリント布地を、洋服と組み合わせていろんな使い方をした写真が出ている。こんなところは、ちょっと泣けてしまう(そんなに生地が不足していたのか……)。

そして感動したのは、オペラ・ピンク(濃いピンク)に関する記述。

 パリのデザイナー、スキャパレリイ女史が発見して、この色をショッキング・ピンクと呼んで愛していることは有名です。それまでには考えられなかった濃い目の鮮やかなこのピンクは、赤が持っていた絶対的な華やかさを上まわる魅力を持っていると云えます。

 そうなの、そうなのよ! 濃いピンクってホント素敵。この内藤ルネという人はきっと大物だ。「オペラ・ピンクは王女様の色」と賛美を惜しまない。

 というのは、私は濃淡を問わずピンク好きだが、ある時、妙な本を見つけた。(あんまり腹が立ったので題名は忘れたが)色彩心理学をうたい、「この色を好んで着る女はこういう性格だ」ということが書いてある。その中で、濃いピンクを愛する女の人格がこき下ろされていた。いったい何の恨みがあるんだ、というくらいひどい言われようだった。しかも同じピンクなのに、薄ピンク好きの女だけが聖母マリアのごとく持ち上げられていて、不公平きわまりない。

 昔なら「女は慎ましくあれ。派手な色を着るもんじゃない」と、うるさい道徳おじさんみたいのが言っていたのだろう。しかし今時そんなことを言っても笑われるだけだから、色彩心理学という形をかりて逆襲したのかもしれない。

 この色彩ファシズム本が出たのは、多分80年代か90年代。そう考えると、50年代に生きていたこの内藤ルネという人がどんなに進歩的なセンスの持ち主で、人間としても度量の広い人かよくわかる。

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2006年6月 7日 (水)

ゴシック・アクセサリーのお店です

Photo_8 ←デザイナーさんからいただいたおみやげ ローズフレーバー・ゼリー(衝撃の味)。

 薔薇公爵様のアクセサリーブランド 

 SUPPURATE SYSTEM のウェブショップがオープンしました

       http://ssnet.ocnk.net/

 廃墟に囚われた騎士の朽ちた鎖、氷の中を舞う薔薇の花びら、落ち延びた王女の冠・・・などなど不思議なものがあれこれ。

 ご存知の通り、わたくしも製作スタッフの一人としてお手伝いしております。デザイナーの方々の、凄艶で奇想天外なアイディアに驚かされつつ・・・のんびり完成を祝う間もなく出荷で旅立ってしまう品々ですが、みなさまはどうぞゆっくりご覧くださいね。

 

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